鹿江光

ピンクとグレーの鹿江光のネタバレレビュー・内容・結末

ピンクとグレー(2016年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

≪65点≫:他人のことは分からない。それでいい。
冒頭のシークエンスを観て、「あぁこれは『ブラック・スワン』的な話なのだろうか」と思いながら話を進んでいった矢先、思いもよらぬ作品の構造にぶち当たる。なるほど、これは確かに映像だからこそ実現できるインパクトと言える。
映画の中で映画物語を繰り広げる「劇中劇」という展開は、冒頭からの規定をすべて裏返す構造になっており、それまで積み上げてきた感情などが全て白紙になってしまう恐れもある。ただ今まで見てきたものは決して「嘘」ではなく、視点を変えることで世界の見方を変える、素晴らしいスイッチが押された瞬間でもあるのだ。
鮮やかなフィクションが終わりを告げると、物語は突然に色を失う。現実は常にグレーの世界で覆われていて、その中で才能を持つ者と持たざる者、その中でもがき苦しむしかない人間関係の発露が窺える。
映像が放つ効果に共鳴するように、物語の真相もかなり「味気ない」。観客が期待しているのは、いつだって色鮮やかな紆余曲折の衝撃である。しかし現実問題、蓋を開ければ、真実はあまりにも単純明快で、本人だけが辿り着ける答えであった。その何も着飾らない「グレー」の真実が、またなんともやるせなく、「しょーもな」っと言ってしまいたくなる哀しみを孕んでいる。
才能という大きな存在に囚われていた彼は、やがてピンクの中に潜むグレーの部分を知り、やっと解放されていく。自分の脚で一歩ずつ進んでいく世界は、不安定ながらも鮮やかな希望の色で満ちている。
鹿江光

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