じゅぺ

ソング・オブ・ザ・シー 海のうたのじゅぺのレビュー・感想・評価

4.8
東京京橋の映画イベントEUフィルムデーズにて鑑賞。これ以外ではTAAF2015でしか劇場公開がないので非常に貴重な機会でした。しかも上映前にアイルランド民間伝承の専門家の方が15分ほどの軽い解説をしてくださったので理解の助けになりました。

本作はことしのアカデミー長編アニメ映画部門でベイマックスで賞を争いました。結果は負けましたが、正直この作品のほうがアーティスティックで映画としても優れていたと思います。受賞してれば劇場公開のチャンスもあったのに!残念なことです。

ここで受け売りになりますがアイルランド民間伝承の話をひとつ。アザラシの妖精、セルキーはベールを被る事でアザラシに化けます。そして本来の人間の姿は尋常でない美しさ。大抵のお話では、そんな彼女に見惚れた男が、セルキーが気を抜いている間にベールを隠してしまう。セルキーは嫌々ながらその男と結婚生活を送ります。そしてとても良い奥さん、お母さんになるわけですが、心はいつも海に向かっており、隠されたベールを探し続けているのです。最終的にセルキーは自分のベールを見つけ出し、アザラシの姿となって海に戻っていく。日本の羽衣伝説に似たところがあります。本作はそんなセルキー伝説をベースに作られており、ところどころにそれを感じさせるモチーフが登場します。

主人公は海辺の塔に暮らす少年ベン。彼の母親は妹シアーシャを産んだその日に行方をくらまし、以来彼の父親は塞ぎ込んでしまっています。シアーシャも6歳になりながら未だ喋れない。シアーシャ6歳の誕生日の次の日、教育環境が悪いということで兄妹は祖母の住む街中に移るのですが、ベンは住み慣れた海辺の街に戻るためシアーシャを連れて勝手に家を飛び出します。そんな中、二人は街に潜む妖精たちに出会い、悪事を企むフクロウの妖精(お婆さん)の存在を知ります。彼女の魔法により石にされた妖精たちを助けるには、シルキーの血を受け継ぐシアーシャだと告げられた二人だが…。というあらすじ。

このお話で大事になってくるのが、母親の形見である夜光貝と家に隠されていたベール。シアーシャは誕生日の夜に光に導かれてベールをまとい、アザラシに変身します。そこで行方不明になりかけたのを心配した祖母が、ベンと共に街へ連れて行ってしまうのですが、これはまさしく冒頭で指摘したシルキーのイメージです。また母親の形見である夜光貝。"母なる海"を思わせるこの貝からは"海の歌"が聞こえてきます。さらにシアーシャがこれを笛のように吹くと不思議な魔法の力が現れ、二人の旅を導いてくれます。これ以上はネタバレになるので言えませんが、とにかくベールはシルキー伝説のモチーフ、夜光貝はベンとシアーシャを優しく包み込む母親としての役割を果たしているんですね。

また物語中に登場する伝説として、愛する者を失った哀しみで大泣きし、その涙で海を作り陸を沈ませかけたために石にされてしまった巨人も出てくる(実際に言い伝えられている民間伝承だそうです)のですが、そんな彼は妻を失ったベンの父親と重なります。

とにかくアイルランドの民間伝承とベンを取り巻く登場人物が重層的に組み合わさって話が進んでいく本作。僕も解説を聞いて初めて知りました。わかってるとより一層作品を楽しめると思います。

お話の方は二人が旅を通して成長していくことがメインになります。一度生まれ故郷を離れ、再び海に戻っていく過程で体感していく自らのアイデンティティ。古くから海の中に地上とは違う異質な何か、自分たちには理解できない神秘性を感じていたアイルランド人たちの心の奥底に流れるものに少しだけ触れられた気がします。ただ、映画としては旅の中で起こる試練の緊張感が少し足りないかもしれない。悪く言えば少し冗長ととられるかも。僕自身はこのスローなテンポが非常に身体に合っていたのですごく楽しめました。

それから観ていただくとわかるのが幻想的な音楽、それから一枚一枚を切り出してもすべて絵画として成立する、透き通るように美しいアニメーション。主題歌Song of the Seaをはじめ、世界観の造形がとえもアーティスティック。まるで遠い昔の神話の世界に全身浸っているかのような感覚です。あらすじ自体が非常に地味ながら、これだけ鑑賞後にインパクトがあるのは間違いなくこの二つの要素によるものでしょう。ビジュアル的にはどこかジブリを感じさせるものが個人的には多くて。たとえば崖の上のポニョやゲド戦記の雰囲気に近いものを受けました。

包み込むような優しさと温かさを与えてくれる本作。劇場公開もソフト化も未定なのが悔しいぐらい良い作品だと思います。日本でも多くの人に観てもらえるようになることを祈ります!
じゅぺ

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