冒頭の、旅に出るかすみ果穂が吸い寄せられるようにちょんの間に帰り、中継点だった道中はなんの意味もないものとして、そこで起こった暴行は回想によって語られもう既に解決されている一連がこの映画を簡潔にまとめ上げてる気がする。その解決の仕方も最近見られがちな、女同士連帯を組んで男を社会から排除するようなものではなく、かすみ果穂が1人で加害者をボコボコにして、裁判員の立ち回りを務める男は罪を憎んで人を憎まず精神で加害者に接するのカッコいい。OPPICTURESの性質上、予算と時間に大きな制約がある現実を受け止めつつ映画を模索するため本作はロケーションと編集に力を入れているように思う。男2人女2人の平行モンタージュや、ちょんの間から海岸また公務員の家への移動、そして結果的にちょんの間に帰るやるせ無さは映画以外の何者でもない