KnightsofOdessa

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明けのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

1.5
ネタバレしているのでお気を付けて
["全て終わらせる"←ホントこれ] 30点

今年はアベンジャース、ゲーム・オブ・スローンズ、X-MENなど2010年代を代表するシリーズものが年代の終焉とともに終りを迎えた。終焉の年とも言える今年の年末を飾るのは、全く必要ないと言われたスター・ウォーズ新作三部作の、本当に全く必要なかった完結編だった。ここまで来たら『シャーマンキング』みたいに未回収のまま凍結させたら良かったのに、と思ってやまない。カメラをやたらめったら動かす本作品は、記憶に残るショットを撮り切ることに躊躇しているかのように見える上、同じ様なバストショットや薄ら暗い場面が続くので、正直鑑賞後数時間で大部分の記憶が消え始めている。後に残るのは虚無感だ。私は消えゆく記憶と戦いながら、同時に虚無感とも戦っている。なんと罪な映画だろうか。

開始5秒で私は唖然とする。SW映画原理主義者の私からすれば、スピンオフやら小説やらで補完すれば良いという発想は大嫌いだ。それは映画としての敗北に等しい。一体いつからあらすじは数多のスピンオフ小説でお金を稼ぐための手段になったのだろうか。オリジナルの呪縛から逃れた『最後のジェダイ』を愚弄するかのような圧倒的にくだらない後出しジャンケンを繰り出し、皇帝をたったのワンセンテンスで復活させる。しかもよく見りゃ意外と太っていて、何十年もドクターブライス生活をしたとは考えにくい。彼はカイロ・レンを最初から操っていたと藍染惣右介のようなことを宣い、結局は"世界を支配しよう"という漠然とした巨悪に戻っている。全てライアン・ジョンソンが世界中のSWファンからボコボコに殴られた"オリジナルからの解放"を全て伝説の中に引っ張り戻そうとしている。時既に遅しと知ってか知らずか。彼の計画は謎な部分も多い。カイロ・レンを長年育てていたにしては手放すのが早いし、最終決戦での心変わりも奇妙すぎる。全ては後出しジャンケンのせいで伏線にもならない伏線を回収したつもりになっているからなんだろう。

新作三部作の最大の懸案は、オリジナルのトリオをどう殺すかだっただろう。三人の年齢的に激しくは動けないし、今後のシリーズ化に支障をきたすので、彼らを殺すのは至上命題だということは始まる前から分かりきっていた。となれば年齢順に殺していくのは順当で、『フォースの覚醒』で最年長のハリソン・フォード、『最後のジェダイ』でマーク・ハミルを殺した。しかし、本作品の撮影前に一番若いキャリー・フィッシャーが亡くなってしまったのだ。当然、大いなる花道を用意していたはずだったのに変更を迫られたのだ。その代わりにというべきなのか、本作品ではランド・カルリジアン、そして新作三部作には出ないと言っていたウェッジ・アンティリーズが登場している。しかし、彼らの登場はあまりにも唐突で、オリジナルメンバーなのにありがたみが薄く作られている。極めつけは、決戦前ミーティングに参加していたのに最終決戦にもラストの大団円にも参加してなかったナイン・ナンである。死んだ描写もなく、惜しまれる描写もない。オリジナル三部作はいつからオリジナルトリオだけのものになってしまったのだろう。アクバー提督が台詞一つで葬られたのが悲しくて仕方がない。

残りの三人はどうだろうか。C-3POの記憶を削除するのに対して悲しみを覚えるのは一度消去されたことを知っている我々だけで、バックアップで復活後だって誰もそれを指摘しない。ウーキーの"命の借り"は本人が死んでしまうと家族に伝搬していく。つまり、チューバッカはレイアが亡くなった時点で守るべき"家族"を全員失ってしまったのだ。しかし、悲しみの咆哮は木々の間からロングで一瞬だけ捉えられ、消える余韻もなく別の場面へ(しかも確か敵の戦艦だった気がする)転換してしまう。家族・仲間とは何かという問いに答えようとするシーンは散見されるが、それがいつもの薄っぺらい表面的なメッセージであることが明白になったシーンの一つ。R2-D2に関してはほぼ出てこない。彼らの扱いは終始軽かった。C-3POが邪魔者扱いされるたびに、物悲しかった。彼は新作三部作のジャー・ジャー・ビンクスになりかけていた。

物語が行き詰まったら新キャラを出すのは昔からの定石であるが、新作三部作ではあまりにも下手くそだった。ポリコレに配慮しただけのローズは前作で叩かれまくったせいか、未だにフィンへの思いを残しながらほとんど空気のような扱いだ。そして、当のフィンはレイ大好きオーラを出しながら、初登場のジャナという元トルーパーとペアとなる。『フォースの覚醒』では黒人のペアが白人という新たなメッセージ性があったものの、結局はベトナム人と黒人という有色人種で固められてしまうのだ。これも適当なポリコレ対策の一つ。しかも、恋愛関係を導入するのは人物を掘り下げる必要があまりないというメリットがあり、そのメリットだけを最大限使った本作品では昼ドラ以上に恋愛ベクトルが乱れ飛んでいる。気色が悪い。

新たな将軍代行に指名されたポー・ダメロンは、自分のX-Wingを破壊されて以降"モー・ダメロン"を極めている。彼はなぜかコミックリリーフのような役割を務めることになり、前作のラストで始めて出会ったレイとフィンとの関係をやきもきしながら眺めている。パイロットとしてのお仕事も少なく、正直存在感が薄い。極めつけは最終決戦で万策尽き果てた際に"モー…ダメロン…"と呟く。私なら別の人を将軍に選ぶな。というか、一つのブリッジに全将軍を集めたりしねえわ。アクバー提督が台詞一つで葬られたのが悲しくて仕方がない(大事なので二回目)。

カイロ・レンとレイの関係もファンに媚びたようで気持ち悪い。ハリウッド大作の女性主人公という好スタートは、囚われの"お姫様"であるカイロの呪いを解いて一緒になるという、男女を入れ替えただけの代物に成り下がった。フォースの繋がりや細胞の再生などの新概念すら若干の受け入れがたさがあるのに、最終的な二人の関係性の帰結がキスになるのはなぜなんだろうか。私には到底理解できない。勿論、私服で来たベン・ソロはどうしようもなく素晴らしいのだが、それはアダム・ドライバーの功績であって脚本及びベンやレンの功績ではない。ちなみに、彼らはライトセーバーによる戦闘を何度も繰り返すが、片手のチャンバラばっかりで面白味がない。カメラも動きまくるので見せ場も見難い。

関連して、少し気になったのは、レイがジェダイの声を聴くシーン。ルーク、アナキン、オビ=ワン(若年&壮年)、クワイ=ガン・ジン、ヨーダ、メイス・ウィンドゥくらいまでは分かるんだが、ケイナン・ジャラス、アソーカ・タノ、アイラ・セキュラ、アディ・ガリア、ルミナーラ・アンドゥリまで来るとワケわからん。特にアイラ・セキュラとか、本編で一言も喋ってないし、アソーカって確かまだ死んでないのでは。どうも女性ジェダイばかりというのが引っかかる…

最後の戦闘は完全に『ジェダイの帰還』を丸っと拝借したものだが、"デス・スターのコアの破壊"という具体的な最終目標があったのに対して、本作品では明確な最終目標が漠然としており"ラストミニッツ・レスキュー"すら機能しなくなっている。しかも、戦闘シーンよりもコックピットにいるパイロットだけを映すばかりで、戦闘機による戦闘シーンはほぼないに等しい。デカすぎるスター・デストロイヤーの間で散る小さな火花のように消えていく味方戦闘機を遠方から眺めているだけだ。それは、ランドとチューバッカの呼んだ応援が『ダンケルク』さながらの登場をしてからも変わらない。全体的に戦闘機での戦闘はもっさり&あっさりしている。しかも(これは個人の好みの問題だが)、点呼をするシーンがない。私的な致命的欠陥。

最も奇妙なのはレン騎士団の扱いだろうか。これはライアン・ジョンソンも悪いんだけど、レン騎士団のメンバーはルークの下でジェダイになるべく学んでいた訓練生だったはずだ。ということはつまり、全てのメンバーが劇中でメンションされてもいいくらいメジャーなメンバーになるべきだろう。少なくとも全員がレンの後ろにいるだけで個性も何もないのはおかしいだろう。どうせ、スピンオフ小説とかで明かされるんだろうけどね。読んでたまるか。

なんとなくだけど、エピソードXはカイロ・レンが捨てたライトセーバーを次のシス卿が拾うシーンから始まる気がする。或いはほとぼりが冷めた頃にリブートするかもしれん。金儲け至上主義にはほとほと呆れる。

追記
良かった点を絞り出すとすれば、ドミニク・モナハンの登場にはちょっとアガった。『フォースの覚醒』でケン・レオンが出てたのを思い出した。あと、アダム・ドライバーを起用したことで救われてる部分は多かったように思えた。個人的に当初はあまり好きになれなかったものの、シリーズを通して大好きな俳優の一人になっていったので、新作三部作は私のアダム・ドライバー受容トリロジーと見ても差し支えないだろう。結晶の惑星、ウエスタン的な砂漠の惑星、『七人の侍』→『インターステラー』をやる惑星、ディラックの海みたいなシス惑星など、セットの造形は頑張ってたと思う。
あと、ハックスね。ほんと、ディズニーは中間管理職の悲哀を書きたがるよねー。前回あんだけ首絞められたりふっ飛ばされたりしたら裏切るのも納得。その理由も小物感満載。いつまでもブレないスネ夫キャラ最高。
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