そーた

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明けのそーたのレビュー・感想・評価

2.9
想像と連想は違う

ジョークやギャグとは言うなれば言葉の連想からこしらえるもの。

そして、
連想というものは連なりゆくイメージの予想外の結末と、なによりもその帰結が理路整然としていないところに最大の魅力がある。

が、それをスター・ウォーズでやるというのは果たして適切だったのだろうか、、、

正直、この新シリーズがジョークやギャグの類いなのであればまだ救いが持てると思ってしまうし、
そして同時にそんな感覚に対してなにやら自己嫌悪にも陥る。

いやはや、
なんとも複雑な気持ちである。

新旧2つのトリロジーにつけ加えられた新たな三部作。

この新シリーズの製作においては、
ストーリーの根幹は未決定だったそうである。

なにやら、
作品ごとに、託された監督の力量が試されるという、"連想ゲーム"さながらな製作手法がとられていたと聞く。

そんな実験性がエピソード8などでは顕著な賛否両論を巻き起こしてきたのだけれど、実験性といえば聞こえは良くて、
それはある意味製作陣のアイディア不足を言い繕う言い訳でしかない。

映画人としてはそのような状況は冥利に尽きるのかもしれないが、
いち熱狂的ファンとしては、
頼むから他でやってくれという気持ちである。

エピソード1-6までの一貫したストーリーに対して、
今回のシリーズは余りにも蛇足すぎる。

俳優の方々には大変申し訳ないが、
エピソード9までを見終わった最終的な結論としては、
今シリーズはほんとうに無くてよかったシリーズだった。

SF映画の金字塔から想像力をそぎおとし、その神話に興行主義という名の金儲けのイメージを結びつけてしまったディズニーの罪は深い。

そして、そのようなファンの反応に対する想像力の欠如もまた痛々しい。

今にはじまったことではないといえばそれまでだが、
これからはディズニーと聞けば金儲けという言葉をすぐに連想することにしよう。

いや、ディズニーが悪いのではないのだろう。

むしろ、製作陣営の想像力の欠如を連想というふざけた思いつきによって補おうとした、その軽はずみな衝動こそ断罪すべきだ。

神話は死んだ。
そーた

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