しょうや

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明けのしょうやのレビュー・感想・評価

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音楽や映画に本当の意味でのオリジナルな作品が存在しない。それに同じく、音楽や映画についての多くの批評もオリジナリティを失ってしまった。インターネットの発達やソーシャルメディアの台頭により、誰もが作品について語ることができるようになった。ソーシャルメディア発のライターやミュージシャンも当たり前に見られる。ウェブサイトなどで知識は自由に得られるし、SpotifyやNetflixといったストリーミングサービスで作品に触れることが誰でも容易になった。世界中どこにいても、あらゆるコンテンツに自由自在にアクセスできる。

批評は万人のものになったが、ソーシャルメディアやこのFilmarksを見ると、一つの作品に同じようなレビューばかり。「マリッジ・ストーリー」では誰もがアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンの演技を褒めるし、「へレディタリー」のレビュー欄には「ホラーとコメディは紙一重」の文が並ぶ。まるで、誰か一人の文章をとってきたように。

テレビCMの影響力もいまだ強い一方で、音楽・映画ファンにはもっぱらソーシャルメディアで新作の情報を得るという人も少なくない(私もそう)。新作情報の拡散を主目的とした非公式アカウントには数万人(十数万人)のフォロワーがおり、彼らの影響力は底知れない。昨年の「ジョーカー」は日本国内でもソーシャルメディアのミーム化が起こったし、今年公開の「パラサイト」「ミッドサマー」あたりも既鑑賞者は数少ないはずなのに、かなり公開前の知名度や期待度を伸ばしている。一方で、話題性ばかりで内容はイマイチの作品も、ソーシャルメディアでは生まれやすい(?)。

かくして私たちのような一般人でも、映画作品を語ることができる時代になった。それは良いことなのだが、一方で作品を語るのに注意すべきことがある気がする。作家へのリスペクトがない・謙虚さがない批判で溢れている。

「スター・ウォーズ」は知名度が高く、誰もが気軽に語れるコンテンツかもしれない。しかし私がスター・ウォーズ完結編である本作を観た感想は、「自分にこの作品を評価する資格はあるのだろうか?」だった。台詞は説明的すぎ、プロットはご都合主義的すぎ。ゆえに物語は感動的なのに全然入り込めない。しかし自分にこの作品に低評価をつける資格はないかも、と感じさせる凄み!(?)

もしも自分がつけたスコアがきっかけで、「この映画やっぱり観なくていいかも…」と思う人がいたら辛いから。絶対に観た方が良いと思ってレビューしても、星の少なさで観なくていいと思ったら辛いから…。

先日行った美容室で映画雑誌を読んでいたら、「スター・ウォーズ観ました?」と聞いてくれる美容師さん。Twitterとかでなんとなくわかっちゃってるんですよね…と答えると、「僕もお客さんからいろいろ聞くんだけど、オチも聞いた?」と。あの「オチ」とは一体どこからどこまでのことだったんだろう。

(書き疲れたのでここで終わり。続く…かも?
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