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ピクニックのSNのレビュー・感想・評価

ピクニック(1936年製作の映画)
4.7
ひどく暑い夏の日、ドュフュール一家はパリを抜け出し、ブゾン(Bezons、パリ近郊Nanterreの北に位置する。だが、実際の撮影が行われたのはLe Loingというパリから100キロほど南に離れた田舎町である。そもそも、セーヌ川がこんなに穏やかで、川幅が短いわけはない。作中でも青年がFleuve ではなく Rivièreと言ってるように、これがセーヌ川でないことは明らか。そして、何よりもこの場所はピエールオーギュストがこよなく愛したところでもある)に涼を求めてきた。
ドュフュール氏は、妻と義母、娘と彼の下で働く青年アナトールを連れだって、セーヌのほとりにあるオーベルジュ(レストラン付きのホテル)に立ち寄る。草上での昼食を準備していると、二人のボート漕ぎの青年が話しかけにやってくる。
暑さとワインの酔いが手伝ってか、ドュフュール夫人と娘のアンリエットは、それぞれ青年に導かれてボートで沖に出ることになる。ボートが岸を離れた途端に、だんだんと雲行きが怪しくなっていき、嵐の予感が漂ってくる…。

どこまでも長閑で美しい田舎の光景を目の前にしても、その裏で刻一刻と迫りくる嵐の予感のようなものを感じずにはいられない。

重力を感じさせない、あの有名なブランコのシーンも、どこか示唆的。ブランコにまたがるバタイユの妻の無垢さも、それを眺める粗野な田舎の青年も、あのロココの傑作、フラゴナールの『ブランコ』を想起させずにはいられない。華やかな衣装に身を包んだ少女が、美しい自然の中で靴を飛ばしながらブランコを漕ぐ姿。後ろから夫がブランコを押し、そして下から捲き上るスカートを仰ぎ見るように佇む不倫相手。天使の彫像は口元にそっと人差し指を立て、この関係が許されるものではないと教えてくれる。

そして、くだんの少女の頬をつたう涙によって空からは大粒の雨が降り出し、あんなに穏やかだった川面に激しい波紋をもたらす。

時は流れ、アナトールと結婚をした主人公は、再びブゾンの地を訪れる。華やかな格好をしていた少女は、もはや喪服のような暗い出で立ちである。その結婚が彼女の望んでいたものではないかのように。
そして、あの時と同じ場所で、ボート漕ぎの青年と偶然再会する。一言二言、言葉をかわす二人。呟くようにして彼女の口から囁かれる「毎晩のように、あの時のことを考えているの」という言葉が、ただならぬ関係であることを暗示する。藪の陰から、こだまのように虚しく響き渡るアナトールの「アンリエット!」という叫び。そして物語は幕を閉じる。

ルノワールの人間や現実を美化せずにただ直視する態度。そして、なによりも全く古びることのないセンス。天才とは彼のことを言う。

神学生に扮したバタイユ(夫、思想家)がベッケル(映画監督)、アンリ・カルティエ=ブレッソン(写真家)を引き連れて、ワンカットだけ横切るシーンの豪華さには驚かされる。
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