マリちゃん

ヒメアノ〜ルのマリちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

ヒメアノ〜ル(2016年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

古谷実の『ヒメアノ~ル』の筋は、主人公やその同僚が身分不相応ないい女に惚れられて、その幸せを味わう裏で森田は標的をヒロインに据えながら殺人鬼として覚醒していく、というものであった。
映画でもその点は変わりないが、漫画に対して文字数をもう少し(?)割かせてもらいたい。
奇跡のような恋愛の裏側で、森田に対する描写は殺人鬼の内面を探究していくように深まっていく。
漫画では森田への探究をより綿密に行っていくため(半ば時間を稼ぐよう)にサイドストーリー(とりわけ同僚の安藤)が膨らんでいったのではないか、と推測出来る。
殺人鬼の精神に明快な描写で迫りながら、ある真理と思われる側面を照射していく手腕に圧倒された。
映画化されるにあたって、そうして漫画で作られていたテーマの表現領域は狭められ、標準化された。
例えば、漫画では―冴えない若者と茶髪のかわいい女子という世間的に逆サイドに存在する男女の―身分不相応な恋として描かれていたが、映画での濱田岳はどこか小綺麗なファッションでヒロインの佐津川愛美も黒髪になり、「あり得る恋」としての側面が色濃くされている。
そして古谷実の漫画のように独白によって内面に迫ることの苦手な映画では、「首を絞めると勃起してしまう」森田の快楽殺人者としての描写を腰を据えて描く余裕はない。そのため、出色である条理(いわれ)のない殺人という側面が薄まってしまっている。
しかしながら、映画の観賞後の感覚と、漫画の読後感は、その濃淡に差はありながらも、大筋で一致している。
概観としては、描写が明快でありながら理解しがたい主題を抱えた青年コミックが、商業映画(※R15)の鋳型に流し込まれる過程で、ノーマライズの圧力でプレスされたものに見える。
しかしそれは、商業映画の戦い方として、かなり聡明だと思う。あの素晴らしい最終話を忠実に再現していたらカルト映画の烙印を捺されたに違いない。この映画はそういった映画ではなかったのだろう。
厳しい目で見ても映画のために拵えられたラストのシークェンスは秀逸だと思う。
珍しく原作ファンの立場で映画に臨んだ作品なので、普段では味わわない感覚で観た。

大好きです『ヒメアノ~ル』