そーた

ウイークエンドのそーたのレビュー・感想・評価

ウイークエンド(1967年製作の映画)
3.0
ゴダール先生、こんな解釈でよろしいでしょうか?

僕ね、ゴダール作品って自分には理解できるものじゃないって思っているんです。

ゴダールの作品ほど映画理論に精通していないと何がやりたいのかを理解できない映画はないと思います。

「古典的モンタージュを解体した」なんて言われても正直ちんぷんかんぷんですよね。

ゴダール作品に映画理論の装備なしで挑もうとするのは、物理学を学ばずに量子力学に挑もうとしたり、
高校数学をすっ飛ばしてフェルマーの最終定理に挑むようなものだと思います。

でも、そうは言っても映画好きを公言している手前、観ないで済ませるわけにはいかない、そういう思いから見てみるわけです。

でもね、前置きが長くなってしまいましたが、この作品どうしたものか、面白いななんて思ってしまったのだから、ゴダール映画も捨てたもんじゃありません。

冒頭で主人公達が車をぶつけてしまい持ち主と喧嘩になるシーンがあります。

このシーンが実に愉快。

怒った持ち主の女性がテニスラケットでボールを打って攻撃してくるんです。

それに対して主人公達はスプレーで応戦。

このシーンかなり笑えます。

するとテニス女の旦那が犬を連れながらショットガンを撃って家から飛び出てきます。

もうハチャメチャです。

そんな調子でこの映画は続いていきます。

それで、この映画を見終わってよ~く考えてみました。

この映画は一体何だったんだろうって。

すると、ハチャメチャな映画ではあるけれど、その中で起きている出来事ひとつひとつはごく普通のことだと気付きます。

テニスするのも、スプレーを噴射するのも、ショットガンを打つのも、犬を散歩するのも、全て日常的なんです。

でも、それを日常的と呼べるのは然るべき時とふさわしい場所があるからこそなんです。

そのTPOが崩れると一気に非日常になってしまう。

その崩しが全編で行われているわけです。

それで、逆接的にじゃあ僕たちが普通に行ってる事って実は普通じゃないんだよって言ってみる事が出来ます。
だって、普通さってその物事の時と場合で決まるわけですからね。

だから、この映画を見てオカシイな、変だなって感じてしまうことは、実は現実の世界の諸々の出来事に対して変だよなって問題提起してみるのと同じことなんですね。

まぁ、恐らく僕の解釈はゴダール先生から減点されまくると思います。

あくまで僕の解釈と言うことで。

ご飯を食べる前にごちそうさまと言ってみる。
その時に感じた不思議な気持ちを映像化したようなそんな前衛的映画でした。
そーた

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