黒苺ちゃん

高麗葬の黒苺ちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

高麗葬(1963年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 山間の寒村で母と暮らすグリョンは、幼い頃に義兄たちにいじめられ、片脚に障害を負っていた。ある年、彼は聾唖の少女と結婚するが、義兄たちに強姦される。少女は復讐のために義兄のひとりを殺害するが、そのかどでグリョンは彼女を殺さなければならなくなる。15年後、幼馴染みのカンナキの娘を幼妻にめとるが、村を飢饉から救う生贄として、祈祷師によって殺される。グリョンは失意のうちにカンナキと結ばれるものの、姦通を許さない村の掟に触れ、さらにカンナキの亭主殺しの濡れ衣も着せられ、処刑を宣告される。彼らが助かるには、祈祷師の占いに従い、雨乞いのために「姥捨て」(高麗葬)をするしかなかった。グリョンは苦悶のすえに母を山中に置き去りにするが、村に帰ると、カンナキは義兄たちに殺されていた。怒りに震えるグリョンは義兄たちを斬殺し、祈祷師を殺す。村に恵みの雨が降り注ぐなか、グリョンは残されたカンナキの娘たちを連れ、新しい生活に踏み出すのだった。

 村のしきたりと飢えのために人が死んでゆく。こういう映画はどんな殺人鬼が出てくるホラー映画よりずっと怖いし見ていてつらい。でもその「恐ろしさ」は、私たちが「殺人はいけない」と教える社会に生きているからこそ感じられるものであり、異なる価値観を持つ共同体では(この映画の山村で暮らすほとんどの村人たちにとっては)合法的な行為かもしれない。たとえばアリ・アスター監督の『ミッドサマー』(2019年)は、老人の自殺や生贄のための殺害を宗教的に意義のある行為として神聖視する共同体を描いていた。

 『ミッドサマー』は、姥捨ての物語である『楢山節考』(1983年、今村昌平監督)を参考にしたというが*、『高麗葬』とこの映画の共通点は多い。山間の寒村、姥捨ての風習、厳格なしきたりと残酷な報復、村八分、貧困。母思いの主人公。姥捨てに行く主人公がびっこを引くこと(『高麗葬』ではもともと足が悪く、『楢山節考』では山道で親指の爪が剥がれた。息子のためらいが身体的に表出しているのかも)。姥捨てをすると天候が変わること(『高麗葬』では雨が、『楢山節考』では雪が降る。どちらもめでたい現象として描かれる)。主人公の一家が被差別者であること。一方で異なるのは、『楢山節考』では姥捨てのあとも変わらない生活が続くのに対し、『高麗葬』では主人公が村の因習をことごとく破壊し、否定していることだ。

 また、本編の途中に2箇所、合わせておよそ30分の映像の欠損がある(サウンドトラックのみが残っているようだ)。セリフだけが続くので物語の展開がよくわからなくなったが、聾唖の少女が義兄たちに襲われたり、グリョンが母の入山に抵抗したり、重要なシーンが多そうだ。その欠落を踏まえても重厚な映画だと思うけど、いつかフィルムが発見されるといいな。


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*「映画界・新エースのインスピレーション源は、名作日本映画にあり!?」、PINTSCOPE、2020年2月21日掲載、2020年3月25日アクセス、https://www.pintscope.com/interview/ariaster-higuchi-oshima/。
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