おおうち

アイヒマン・ショー/歴史を写した男たちのおおうちのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

序盤にこのテレビは過去・現在・未来を映した映像だとミルトンが発している。

過去・現在
このパートにフォーカスして発信していたのがミルトンや当事者、その他視聴者たちだ。アイヒマン裁判はユダヤ虐殺を世界中に認知させた重要な裁判である。レオと違い、ミルトンはユダヤ人を写すことにこだわる。それはこの事実を広めることにこだわることに同義である。

未来
レオがアイヒマンに固執していた理由は未来のためだ。イスラエル人のカメラマンに向けての言葉やホテルの女性への言葉から、彼はイスラエルとパレスチナの問題を注視していることがわかる。また彼がこのテレビの意義を“学ぶ”ためだという発言からも、この歴史を繰り返さないために、アイヒマンの人間性をカメラに収めようとする意図を理解できる。(誰もが加害者になり得ることを証明したかった)

そして終盤、レオはこの映像は失敗であったと話す。
アイヒマンの人間性がうつせなかったからだ。
ミルトンの計らいでアイヒマンを一目見ることになるが、アイヒマンの顔からは何を考えているのか察することはできない。
その後レオは壁に貼り付けたアイヒマンの写真を全て剥がす。
レオはアイヒマンの正体を暴くことを諦めたのだ。


アイヒマン裁判の映像は現在においても重要な記録ドキュメンタリーとして共有されている。
しかしそこにアイヒマンの人間性を見るのは困難であり、多くの人は当時起きた悲劇を“知る”だけで終えてしまう。
こんな酷いことがあったんだ、その事実を知り胸を痛める。私もそうだった。


この映画の意義はなんだったのか?
この『アイヒマンショー/歴史を写した男たち』は映画を通し(レオの葛藤を通して)、アイヒマン裁判に“学ぶ(未来)”という視点を設けたのだ。
最後の言葉でもアイヒマンのような狂気にとらわれる可能性を語っている。
私たちはレオのように、この狂気が未来にも生まれる可能性を(あるいは現在起きている可能性)、そして私たち自身もその危険性を孕んでいることを危機感を持ち受け止めなければならない。
おおうち

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