アイヒマン・ショー/歴史を写した男たちのネタバレレビュー・内容・結末

「アイヒマン・ショー/歴史を写した男たち」に投稿されたネタバレ・内容・結末


目を逸らしてしまいたい事柄こそ
目を逸らしてはいけない。

これまで生きてきて何度も「ユダヤ人」という言葉は聞いてきたが詳しく知るきっかけがなく今まで過ごしてきて、あることをきっかけにこの映画を観る機会があり観たがユダヤ人の実際の映像が流れた時はかなり衝撃的で2時間もない短い映画だったがかなり精神的に疲れる映画だった。
序盤にこのテレビは過去・現在・未来を映した映像だとミルトンが発している。

過去・現在
このパートにフォーカスして発信していたのがミルトンや当事者、その他視聴者たちだ。アイヒマン裁判はユダヤ虐殺を世界中に認知させた重要な裁判である。レオと違い、ミルトンはユダヤ人を写すことにこだわる。それはこの事実を広めることにこだわることに同義である。

未来
レオがアイヒマンに固執していた理由は未来のためだ。イスラエル人のカメラマンに向けての言葉やホテルの女性への言葉から、彼はイスラエルとパレスチナの問題を注視していることがわかる。また彼がこのテレビの意義を“学ぶ”ためだという発言からも、この歴史を繰り返さないために、アイヒマンの人間性をカメラに収めようとする意図を理解できる。(誰もが加害者になり得ることを証明したかった)

そして終盤、レオはこの映像は失敗であったと話す。
アイヒマンの人間性がうつせなかったからだ。
ミルトンの計らいでアイヒマンを一目見ることになるが、アイヒマンの顔からは何を考えているのか察することはできない。
その後レオは壁に貼り付けたアイヒマンの写真を全て剥がす。
レオはアイヒマンの正体を暴くことを諦めたのだ。


アイヒマン裁判の映像は現在においても重要な記録ドキュメンタリーとして共有されている。
しかしそこにアイヒマンの人間性を見るのは困難であり、多くの人は当時起きた悲劇を“知る”だけで終えてしまう。
こんな酷いことがあったんだ、その事実を知り胸を痛める。私もそうだった。


この映画の意義はなんだったのか?
この『アイヒマンショー/歴史を写した男たち』は映画を通し(レオの葛藤を通して)、アイヒマン裁判に“学ぶ(未来)”という視点を設けたのだ。
最後の言葉でもアイヒマンのような狂気にとらわれる可能性を語っている。
私たちはレオのように、この狂気が未来にも生まれる可能性を(あるいは現在起きている可能性)、そして私たち自身もその危険性を孕んでいることを危機感を持ち受け止めなければならない。
時間がなく飛ばし飛ばしで見てしまったので大まかな感想だけ。マーティンファンの戯言。ちゃんと見直したらまた書き直します。

エルサレムの景色とマーティンの雰囲気がよく似合っていて、こう……目に優しかった。笑
エルサレムという地の空気感がそうなのか、実際の裁判映像を使っているというところからなのか、全体的に物々しさが漂っている。途中でマーティン演じるミルトンが家族共々ナチズムから脅迫を受けたりテレビクルーの基地にテロを仕掛けようと乗り込む輩がいたり視聴率の低迷に悩んだり、「戦犯裁判をテレビで放映する」というストーリーだけでなくきちんと当時の人々の苦悩や葛藤、恐怖なども描かれていたと思う。特にホロコースト被害者の供述シーンは語られることの凄惨さから終始寒気が収まらなかった。堅実なドキュメンタリーという印象。

あとマーティンの眼鏡スタイルが可愛い。
アイヒマンは罪を認めたが、その人間性を暴くことはできなかった

ただ、ナチスを裁くのであればユダヤ人じゃなくてもできる
判事がたとえユダヤ人じゃなくてもアイヒマンに罪を認めさせることはできた

この映画の主題は、アイヒマンを裁くことではなく、アイヒマンを裁くユダヤ人を観ることでもない
もちろんこれも重要なことであるが、問題はそこではない

過去を繙く時、その時その場所で何が起きたのかを主眼に据えるだけでは、足りない
登場人物が何を考え行動を起こしたのかに触れて、初めて過去への理解に通じる

歴史に一定の解釈など無く、歴史を見る人によって歴史は姿を変える
まさしく「鑑」だ
歴史は見る人自身を映す
個人の歴史への認識は、そのままその個人の人間性を現している

アイヒマンは人間性を出さなかった
これではホロコーストとは何であったのかを解釈することができない
ホロコーストを題材として、自分自身を見つけることができなかった

ユダヤ人はアイヒマンに裁判で勝ったが、レオは、この映画を観た僕自身は、アイヒマンに負けたのだ

胸くそ悪い映画を観ることはあるけれど
屈辱を感じた映画はこれが初めてだ
アドルフ・アイヒマンのことはそれ程知らなかった
このようなショッキングな映像がテレビで流れていたことも

いくらそれが悲惨なものだとしても“学ぶ”ことは大切
学ばなければ、ずっと愚かなままだ
マーティン・フリーマンを目当てに観劇。
途中で挿入される現実のホロコーストの映像に眼を背けたくなり、それほどの衝撃を目の当たりにしても笑ってさえいるアイヒマンの(自身を普通だと仮定した場合)異常性が際立つ。NHKの映像の世紀と同等なくらい、第二次世界大戦を取り扱う作品の中で深く印象に残った。
ただ、その場面が印象に残りすぎて、放送に苦心する主人公たちの影が若干薄くなっている気がする。
アイヒマン自体の裁判の記録映像を評価するなら、(皮肉でなく)最初から資料映像を探して見たほうが良いのでは?と思うので、それ以外の部分をレビューすると、ナチスからの脅迫はあっさり終わるし、ディレクターの思惑通りの反応をアイヒマンがしないことへのイラ立ちもあっさり諦めるしで、あんまり突き詰めてるような作りには見えなかった。

おかげで実際の映像とその内容が際立つのかもしれないけど、それならそれでこの映像をもっと取り扱ったドキュメンタリーを見たほうが良いような気がして……。という内容だったなあと。
すごい映画だった。
アイヒマンはモンスターではない。アイヒマンもわたしたちと同じ人間であると、作品内で何度も言われていた。でもアイヒマンの人間性に執心するレオや、堪え性のない報道陣に怒りを見せるミルトン、収容所での証言や映像に言葉を失う映像の製作陣を見ていると、アイヒマンが何を考えているのか本当にわからなくなってくる。自分でもアイヒマンの見つけようと彼の一挙手一投足に注目し、映画にのめり込んでしまった。
観てる時は割とさらっと観れた。実際の強制収容所での映像もあるけど、現実味がなさすぎて何も感じられない(キャパオーバー的な感じ)。でも、観終わってからくるものがある。

宿屋のおばさんが「収容所での事を周りの人に言ってもそんな事あるはずないって信じてもらえない。でもあなたたちのおかげでみんなが観てる」って言ってたのが印象的。わたしが上で書いた現実味がなさすぎて〜のくだりは多分ここでのおばさんの周囲の人の反応と同じなんだと思う。人が人にそんな事出来るの…って感情。そしてそれを否定したくなる。

あとは、マーティンのメガネ可愛い。オシャレスーツ可愛い。癒し。怒ってる演技が好き。
マーティン・フリーマン目当てで見たんだけど、内容がとても良かった。
ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判の様子を全世界に向けてテレビ放送する為に尽力した男達の実話というわけで、かなり重い内容だったけど、終始目の離せない映画だった。
強制収容所で非道な目に合っても生き残ってきたのに、そのことを誰にも話せず、話しても信じてもらえないユダヤ人達が、この裁判の放映により初めて日の目を見た事実。
また裁判の証人尋問で自身の体験を涙ながらに語るユダヤ人と、全く表情一つ動かさないアイヒマンとの対比。
過去の出来事だ、つまらないと真新しい目先の面白さに走ってしまう人々にあくまでありのままの真実を映し報道する男達の葛藤。
この人達がいなかったらナチスが残虐非道なファシズムであるという真実が世界に浸透しなかっただろうし、生きるにも耐え難いひどい傷をおったユダヤ人の人達も救われなかっただろう。
胸にズシンと来た。