アイヒマン・ショー/歴史を写した男たちのネタバレレビュー・内容・結末

アイヒマン・ショー/歴史を写した男たち2015年製作の映画)

The Eichmann Show

上映日:2016年04月23日

製作国:

上映時間:96分

3.6

あらすじ

1961年、元ナチス親衛隊(SS)将校アドルフ・アイヒマンの裁判が開廷された。ナチス戦犯を前に生存者たちが語る証言は、ホロコーストの実態を明らかにする又とない機会だった。“ナチスが、ユダヤ人に何をしたのか”TVプロデューサーのミルトン・フルックマンとドキュメンタリー監督のレオ・フルヴィッツはこの真実を全世界に知らせるため、≪世紀の裁判≫を撮影し、その映像を世界へ届けるという一大プロジェクトを計画…

1961年、元ナチス親衛隊(SS)将校アドルフ・アイヒマンの裁判が開廷された。ナチス戦犯を前に生存者たちが語る証言は、ホロコーストの実態を明らかにする又とない機会だった。“ナチスが、ユダヤ人に何をしたのか”TVプロデューサーのミルトン・フルックマンとドキュメンタリー監督のレオ・フルヴィッツはこの真実を全世界に知らせるため、≪世紀の裁判≫を撮影し、その映像を世界へ届けるという一大プロジェクトを計画する。様々な困難が立ちはだかる中、撮影の準備は進められ、ついに裁判の日を迎える…。世界初となるTVイベントの実現のために奔走した制作チームの想いとは…。

「アイヒマン・ショー/歴史を写した男たち」に投稿されたネタバレ・内容・結末

時間がなく飛ばし飛ばしで見てしまったので大まかな感想だけ。マーティンファンの戯言。ちゃんと見直したらまた書き直します。

エルサレムの景色とマーティンの雰囲気がよく似合っていて、こう……目に優しかった。笑
エルサレムという地の空気感がそうなのか、実際の裁判映像を使っているというところからなのか、全体的に物々しさが漂っている。途中でマーティン演じるミルトンが家族共々ナチズムから脅迫を受けたりテレビクルーの基地にテロを仕掛けようと乗り込む輩がいたり視聴率の低迷に悩んだり、「戦犯裁判をテレビで放映する」というストーリーだけでなくきちんと当時の人々の苦悩や葛藤、恐怖なども描かれていたと思う。特にホロコースト被害者の供述シーンは語られることの凄惨さから終始寒気が収まらなかった。堅実なドキュメンタリーという印象。

あとマーティンの眼鏡スタイルが可愛い。
アイヒマンは罪を認めたが、その人間性を暴くことはできなかった

ただ、ナチスを裁くのであればユダヤ人じゃなくてもできる
判事がたとえユダヤ人じゃなくてもアイヒマンに罪を認めさせることはできた

この映画の主題は、アイヒマンを裁くことではなく、アイヒマンを裁くユダヤ人を観ることでもない
もちろんこれも重要なことであるが、問題はそこではない

過去を繙く時、その時その場所で何が起きたのかを主眼に据えるだけでは、足りない
登場人物が何を考え行動を起こしたのかに触れて、初めて過去への理解に通じる

歴史に一定の解釈など無く、歴史を見る人によって歴史は姿を変える
まさしく「鑑」だ
歴史は見る人自身を映す
個人の歴史への認識は、そのままその個人の人間性を現している

アイヒマンは人間性を出さなかった
これではホロコーストとは何であったのかを解釈することができない
ホロコーストを題材として、自分自身を見つけることができなかった

ユダヤ人はアイヒマンに裁判で勝ったが、レオは、この映画を観た僕自身は、アイヒマンに負けたのだ

胸くそ悪い映画を観ることはあるけれど
屈辱を感じた映画はこれが初めてだ
アドルフ・アイヒマンのことはそれ程知らなかった
このようなショッキングな映像がテレビで流れていたことも

いくらそれが悲惨なものだとしても“学ぶ”ことは大切
学ばなければ、ずっと愚かなままだ
マーティン・フリーマンを目当てに観劇。
途中で挿入される現実のホロコーストの映像に眼を背けたくなり、それほどの衝撃を目の当たりにしても笑ってさえいるアイヒマンの(自身を普通だと仮定した場合)異常性が際立つ。NHKの映像の世紀と同等なくらい、第二次世界大戦を取り扱う作品の中で深く印象に残った。
ただ、その場面が印象に残りすぎて、放送に苦心する主人公たちの影が若干薄くなっている気がする。
アイヒマン自体の裁判の記録映像を評価するなら、(皮肉でなく)最初から資料映像を探して見たほうが良いのでは?と思うので、それ以外の部分をレビューすると、ナチスからの脅迫はあっさり終わるし、ディレクターの思惑通りの反応をアイヒマンがしないことへのイラ立ちもあっさり諦めるしで、あんまり突き詰めてるような作りには見えなかった。

おかげで実際の映像とその内容が際立つのかもしれないけど、それならそれでこの映像をもっと取り扱ったドキュメンタリーを見たほうが良いような気がして……。という内容だったなあと。
すごい映画だった。
アイヒマンはモンスターではない。アイヒマンもわたしたちと同じ人間であると、作品内で何度も言われていた。でもアイヒマンの人間性に執心するレオや、堪え性のない報道陣に怒りを見せるミルトン、収容所での証言や映像に言葉を失う映像の製作陣を見ていると、アイヒマンが何を考えているのか本当にわからなくなってくる。自分でもアイヒマンの見つけようと彼の一挙手一投足に注目し、映画にのめり込んでしまった。
観てる時は割とさらっと観れた。実際の強制収容所での映像もあるけど、現実味がなさすぎて何も感じられない(キャパオーバー的な感じ)。でも、観終わってからくるものがある。

宿屋のおばさんが「収容所での事を周りの人に言ってもそんな事あるはずないって信じてもらえない。でもあなたたちのおかげでみんなが観てる」って言ってたのが印象的。わたしが上で書いた現実味がなさすぎて〜のくだりは多分ここでのおばさんの周囲の人の反応と同じなんだと思う。人が人にそんな事出来るの…って感情。そしてそれを否定したくなる。

あとは、マーティンのメガネ可愛い。オシャレスーツ可愛い。癒し。怒ってる演技が好き。
マーティン・フリーマン目当てで見たんだけど、内容がとても良かった。
ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判の様子を全世界に向けてテレビ放送する為に尽力した男達の実話というわけで、かなり重い内容だったけど、終始目の離せない映画だった。
強制収容所で非道な目に合っても生き残ってきたのに、そのことを誰にも話せず、話しても信じてもらえないユダヤ人達が、この裁判の放映により初めて日の目を見た事実。
また裁判の証人尋問で自身の体験を涙ながらに語るユダヤ人と、全く表情一つ動かさないアイヒマンとの対比。
過去の出来事だ、つまらないと真新しい目先の面白さに走ってしまう人々にあくまでありのままの真実を映し報道する男達の葛藤。
この人達がいなかったらナチスが残虐非道なファシズムであるという真実が世界に浸透しなかっただろうし、生きるにも耐え難いひどい傷をおったユダヤ人の人達も救われなかっただろう。
胸にズシンと来た。
何を見せたいのかがよくわからなかった。映像を流すまでの苦労がメインだったのか裁判がメインだったのか。
この裁判をテレビで流したっていうのがメインなので、最初から最後まで全てが見せたいことだったのかもしれないけど、何となく微妙な感じだった。

撮影許可もあっさりといくし、アイヒマンの人間性を見たい監督の考えはどうなったのか不明だし(映像を見せても反応を見せなかったという時点でそこの部分解決してた?)。アイヒマンが罪を認めた!っていうのが撮れれば良かったのか。。。
アイヒマンがどういう人間なのかがこれからわかるのかなぁと期待した分そこは残念だった。実際の話だから、そういうモヤモヤが回収されないのは仕方ないけど。

実際の映像と新しく撮影した映像を組み合わせてるのが良かった。役者も似てる人を使っててアイヒマン役もかなり似てて驚いた。

ユダヤ人への残虐行為も話を聞いただけでも痛ましいと思ったのに、映像もプラスされるとよりその酷さがあらわになるので、映像のもつ影響というのはすごいんだなと感じた。
残酷な映像で心が痛むけれど風化させないためにもこういった映像は大事なんだと思う。

アイヒマン実験で誰でもアイヒマンなりうるということが判明しているので気をつけて生きていかないといけないと思う。
最後の言葉が響いた。


最初の方を倍速で見てたのでもう一度見直したい。
ナチスによるユダヤ人大量虐殺の戦犯の一人、ルドルフ・アイヒマンがイスラエルで裁かれることになった。歴史上もっとも重要な裁判となることは疑いなく、その裁判の様子を撮影し報道するテレビマンたちの努力の物語です。

テレビ番組なんてものは昔から(今はちょっとずれてきましたが)多くの人が気楽に手にすることができるエンターテインメントの中心媒体。もっと娯楽要素に寄った「お仕事マン」的な、軽い作品だと思い、週末の夜に気軽に手に取ってしまいました。

しかし予想に反して、かなりヘビーで、ドキュメンタリータッチな社会派かつ現代史ドラマ。

ナチス政権のしでかしたことって、そんなに昔のことではないのだな、というのがまず素直に感じたこと。

そしてそんなに昔ではありませんが、報道や情報の伝播は当時と比較して現代は夢のように進化しているのだな、と。

裁判の様子を世界にしらしめるといって衛星中継するわけでもなく、もちろん動画投稿するでもなく、大事にフィルムに焼いて世界各国主要都市に空輸する手配をするシーンを観て痛感しました。

現代では、世界の裏側の事件や出来事、悲劇も祝祭も映像となり、一気に世界中に配信される。さらには一般の人間が撮った動画もYouTubeやら動画投稿に乗せて世界中に一気に広めることが可能な世の中になりました。

しかし、過去には、そう遠くない過去には、全く世界が知らないまま、埋もれていった大きな悲劇や争い、きっとあったのだろうな、とも思いました。

だからこそナマの裁判、ナマの生還者の声を報道することの意味は大きい。

当時の、ガガーリンの宇宙探査やキューバ危機などの世界的ニュースとの「世間の関心」の比較も描かれていました。一般の視聴者が見たいものは、現在リアルタイムで起こっている事件や、輝かしい未来の希望あるニュースだけかもしれない。過去の遺物や、老いた被害者や戦犯の裁判を、長い時間裂いて見せることに何の意味がある?と言い出す関係者も、もちろんいる。

文系教科ってさ、この先、必要なの?なんて言ってる人。
歴史を学ぶこと、歴史を知ることの大切さ、そしてどのような形であれ未来に残すことの必要性を知るべきだな、と。

映画の中、裁判の中での、証人たちの証言は言葉だけでもかなり辛いものでした。さらには「辛い」なんて感情を越えた収容所の映像に至っては、正視できないようなものもありました。

それでも、これは世界に知らさなければならない。
ホロコーストやアウシュビッツがあったことを、世界が知らないままだなんてこと、あってはならない。
だから、生き残り、収容所から生還した人たちの血を吐くような告発の声を届けなければならない、
さもないと、世界はこの先も何も知らないまま、またこのような過ちをこのような悲劇を繰り返してしまうかもしれない、と。

あえて作り物ではない映像を、この映画に入れたことで、「残したい」「伝えたい」と切に願った彼ら真摯な過去のテレビマンたちの思いが、却って強烈につたわってくるように思えました。

彼らの仕事は、確固たる形が残る、当時としても偉業を成し遂げたました。けど、彼らは自分たちがそのとき思った以上に70年後の未来の精神に大きな警句を鳴らしていることを知っているだろうか。

最後まで表情を変えないアイヒマンに絶望を感じたけど、脅されたり何度も屈しそうになったけど、裁判が報道されたことで、それまで寡黙で不機嫌だった宿の女将さんが初めて監督に心を開いたシーンで 、そう思いました。彼女もまた辛い過去を抱えて口を閉ざした時代の生き証人だったの…。かれらの仕事が、歴史の傷をいってに負ったまま生きる当時のユダヤ人たちに大きな光を与えたのだと、監督自身もリアルタイムに知ることができて良かった。