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LION ライオン 25年目のただいまのレクのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

前半、インドの子供ですら働かなければならない貧困問題と迷子となった少年視点から見る不安感。
自分がどこの誰なのかも説明できない孤児となった少年が頼るべき相手は誰もいない。
そこに漬け込む大人の怖さ。人身売買等の犯罪の危険性。
そして、孤児の子供たちへの大人の対応の杜撰さや粗悪さ。

唯一の救いなのは、どれだけ過酷な状況下であっても、救われる貧しい孤児は確かにいるということ。
そしてそれを救うことができるのは紛れもなく"愛"なんだということ。

過酷な少年時代と養子先の何不自由ない生活。
孤児への大人の対応と養子先夫婦の子への愛情。
この対比がこの作品の芯の部分であろう。

この作品を観て、一番感動したシーンはニコール・キッドマン演じる養子先のママの言葉。
驚くことに、サルーに対して養子として自分の家に来てくれたことが幸せだと語ったのだ。
普通は逆ではないか?
孤児として施設に搬入された子供が何不自由ない家庭に貰われる。
自分の目で見ても、孤児に対して愛情を注いでもらって幸せだねって思う。
それなのに、ママは孤児を迎え入れて幸せだと言ってくれる。
こんな素敵な話があるだろうか。

インドの貧困事情、子供の行方不明者数という現実を、のうのうと生きてる自分に突きつけられた。
親の有り難み。人の優しさと苦悩や葛藤。
サルーのような環境下に暮らしている人たちが世界には沢山いるということ。
家族とは、幸せとは何か。
様々なメッセージがこの作品には込められている。
そしてこの作品全てを優しく包み込むのは他ならない親の愛。
こう言っては何だけど結果論として言えば、孤児となったことで二人の母親を持つことになり、二人の母親から愛情を注がれたサルーは本当に幸せだと思う。
単なる実話を題材にした感動作品ではない素晴らしさがここにある。


さて、ここまで感動的だの素晴らしいだのと並べてきましたが、"何故自分は泣けなかったのか?"について少し考えてみようと思う。

①感動の実話作だと事前に周知されている。
②少年期の貧困問題よりも青年期の感動の再会に重きを置きすぎた演出。
③テーマである愛よりもストーリーである運命論が印象的な点。
④ニコール・キッドマンの若きママの髪型。

恐らくこの4点。
①は自分の問題であり、ハードルが少なからず上がったのも事実。
④は気になって気になって(笑)

②と③について
これも個人的な見解なのですが、結局のところ"母親との25年ぶりの再会"という感動シーンを如何にドラマチックに見せるか。に重きが置かれ、"グーグルアースで故郷を見つけた"という事実をアピールすることが重要だと考えられているように見えた。
グーグルアースで偶然見つけ出せた故郷を訪れ、25年ぶりに母親と再会した。
これはストーリーであってテーマではない。
作品の持つメッセージの意味合いが薄れている気がしました。
前述した通り、この作品のテーマである愛よりも感動の再会というストーリーに重きが置かれたということで、自然と泣けなかったのではないだろうかと考えられる。

あくまでもこれらの事由は自分が泣けなかったことなので、作品自体の批判ではありません。
作品自体の出来は本当に素晴らしいものでした。
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