三四郎

せきれいの曲の三四郎のレビュー・感想・評価

せきれいの曲(1951年製作の映画)
3.5
この映画、アップが実に多かった。母轟の浮かべる涙、母娘の顔をくっつけスクリーンいっぱいに広がる微笑と涙…うるっときた。

父親のコンサートの招待を受け、一人で行った稲子。母は、山村の作曲したという楽譜を見てすでに「過去の彼」「せきれいの曲」という美しいメロディを作曲した彼ではないと感じている。故にコンサートにも行かない。コンサート後、稲子は父親と高級料理店でディナーをする。はしゃいで喋る稲子。山村は答弁しながらも相槌を打ちながらもどこか慣れていない上の空といった感じで娘の話を聞いている。父に会ってご馳走してもらい音楽の道を行くなら援助すると言う父に感激して家に帰宅。母はまだご飯を食べていない。稲子が帰ってくるまで待っていたのだ。それも御構いなし楽しそうに嬉しそうにはしゃぐ娘。切ないね。

轟はあくまで時勢に反抗し、山村は迎合し日和見主義。
憲兵に捕らえられ拷問を受けふらふらになって帰ってきた母。家は憲兵が土足で踏み入り荒らしまくり…娘はその光景に驚く。しかし、ちゃぶ台の上には、母の手紙と夜ご飯。憲兵もこれには手をつけなかったのか?このご飯も散らかされひっくり返されていたら悲劇が増大しただろう。しかしそこまではされていなかった。
翌日の夜傷ついて帰ってきた母は、娘が食べるものがなくてお腹を空かせているだろうと思って帰ってきたと言う。「心配かけてごめんね、階段で転んだのよ」転んだのは、この「時代」と「思想」という名の急な奇妙な邪悪な階段に…である。この二つに足を取られたのだ。
政府・軍部による抑圧武力、国民の中にいる時勢に迎合する者たち…と戦前の自由主義がどんどん失われ、日々の生活が引き締められ、戦中はさらに過酷になり…といった情況が描かれていた。
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