五十

猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)の五十のレビュー・感想・評価

4.3
ついに決定的な意思の下、自ら銃を持ち人を殺めてしまうシーザー。
彼を待っている物語とは…。


シーザーの成長を赤ん坊の頃から見てきた我々にとってこんなに胸を打つ話があるでしょうか…。
彼の苦悩、葛藤があまりにも残酷で胸がしめつけられました。
ラストでは「シーザーは幸せだったのかな。彼は自分の人生をどう思っているんだろうな。」とか考えたら、なんだか泣けてきちゃって…。泣

うん、本当に感慨深い最終作なのは間違いないですよ。


さて、一作目では「英雄の誕生」、二作目は「英雄の活躍と堕落」、そして三作目の今作では遂に「英雄の超越」、とやはり共通して描こうとしているのは神話なんだろうなぁと思いました。

二作目で同族殺しをしたシーザーは、今作では言葉もさらに流暢になっています。
つまり人間に近づいているんですね。
しかし、人間に近くなればなるほど逆に蛮族化していくというのはなかなかにショッキングな皮肉でした。

突然変異で失語症になった人間とも良い対比構造がとれていたと思います。
この「突然変異」っていうのがね…、ラストの大災害シーンでも思うんですが、(ああ、人間はもう自然にも神にも見放されたんだな)っていうのが分かって結構好きです。

それからやはり悪役の存在。
僕は本作の本当の悪役は、やはりシーザーの胸の内のコバだと思っています。
死んでもなおシーザーを苦しめ続けるコバ。
しかし、コバのささやきはシーザーへの救済のようにも聞こえます。
それもそのはず、シーザーにとって鏡像関係のコバはもう一人の自分です。
コバの言うことは悪魔のささやきであると同時にシーザーの本心なのです。

シーザーが苦しみ抜いた上に出す結論とその選択があんなにドラマチックに演出できるのは、他ならぬコバのおかげでしょう。
胸の内のコバ、つまり自分を越えたシーザーはついに「英雄」をも超越し、「神」になったのです。
そんなシーザーが見る景色とは……。

シーザーもコバも大好きです。
エイプ達に幸あれ…。



本作は、オリジナル『猿の惑星』に繋がる作品となっているようなので、そちらも近いうちに観たいと思います。
五十

五十