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猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)のtakのレビュー・感想・評価

3.5
2011年に始まった新たな「猿の惑星」三部作の最後を飾る「聖戦記」は、第2作の監督マット・リーブスが続投。前作ではオリジナルの第5作「最後の猿の惑星」を下敷きに、仲間だったコバが人間への憎しみ故にシーザーを裏切って戦争へと発展する様子が描かれた。その物語は人間が繰り返してきた愚かな歴史を辿っているようで胸に迫る佳作であった。

第3作は、シーザーの行方を追っていた人間によって、猿たちの平穏が崩れ去る悲劇がまず示される。常に猿たちの未来を見据えて、信念の揺らぐことのなかった理性的なシーザーが、家族を殺されたことで復讐の鬼と化す。前作で"猿は猿を殺さない。野蛮な人間とは違う"という理想が打ち砕かれたシーザー。仲間を守るための戦いが、個人の恨みを晴らす戦いへと変わる。その経緯が描かれる前半は、既にヘヴィーで悲壮感がいっぱいだ。ところが、新天地を求めて移動を始めたはずの仲間が人間たちに囚われてしまう。シーザーはその軍隊を率いる大佐に立ち向かう。

第3作で印象的なのは"人間の弱さ"。自らと異なる者や考えを受け入れることもなく、それらを排除しようとし、終いには殺しあう。ウディ・ハレルソンが演ずるクレイジーな大佐は、そうした人間たちの一つの代表であり、シーザーたちに立ちはだかる強大な敵。だが、その大佐も映画のクライマックスでは絶望の淵に立つことになる。

大佐を排除しようとやってくる北の軍隊を隔てる為に、猿たちを労働力にして高い壁を築こうとする。猿たちは親子が引き離されて檻に入れられる。…あれ?こんな光景を最近テレビで見た気がする。そう、不法移民たちが親子引き離されて柵で囲まれた施設に入れられ、自国にとって不都合な人が来ないように大統領が国境に高い壁を作ろうとしている国が、まさに現実に存在しているのだ。映画を見ていて、だんだん重なって見えてきて切なくなった。

前作では、戦争へ突き進んだ猿たちの姿に、人間が繰り返してきた愚行の歴史を後追いしているように感じた。しかし本作の後半ではそれ以上に愚かな人間の姿が映し出される。"言葉を失った人間はケダモノだ"と見下していた大佐が、自分を支えていたはずのその考えによって身を滅ぼしていく。僕はオリジナルの「猿の惑星」第2作で、地下に潜って核爆弾を神と崇めていた人間たちの姿を思い出した。それがどんな悲劇を生んだのか。「続・猿の惑星」未見の方は是非確かめて欲しい。アンディ・サーキス、本作でも名演でした。
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