SatoshiFujiwara

グランドフィナーレのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

グランドフィナーレ(2015年製作の映画)
3.3
冒頭。女性歌手が画面左側に映り、右側にはドラマーが奥に映り込む。背景は右に移動し続けているので、カメラが旋回するステージに据え付けられているのだろう、と理解する。これは映画中盤で引いたショットからステージが再度撮影されて明らかにされるが、つまりこの旋回するステージが人生のメタファーと映画冒頭で宣言されているわけだ。終わりは始まり。始まりは終わりに繋がる円環構造。そもそも原題は単純に「Youth」である。80歳前後の爺さま2人主演でこの題名だ。当然意図があるわけで、邦題はいつもながらよろしくない。

しかし、この映画でまずみるべきは画面の綺麗さ(敢えて「美しさ」とは言わない。映画としての美しさ、とは少し違う)だろう。冒頭の闇の闇らしさは最近の映画ではなかなかみれない。まさかのマラドーナそっくりさんやら、マリリン・モンローやリタ・ヘイワースを思わせる女優を筆頭に女優が丘一面に登場するシーン、マイケル・ケイン演じるバリンジャーが自然の中で指揮するシーンなど、いささかベタでこっ恥ずかしい。仕方ないとは言え終盤のバリンジャーの「本チャン」の指揮もサマになっておらず、バリンジャーが「音楽しかなかった」という割には他の映画内の描写もなく、設定の説得力が弱い。ジェーン・フォンダ演じるブレンダが自ら語る経歴はジェーンそのものだね。無論そういうイメージをソレンティーノが狙ったってことだろう。

いわゆる「グランドホテル形式」で、脈絡ない人たちが一箇所に集ってお互いに見る/見られる、あるいは話す/話さない、という関係性の描き方が魅力的。

末尾に「フランチェスコ・ロージに捧ぐ」とあるのはこの監督が2015年に亡くなったからだろうが、ロージとソレンティーノ、どうもイメージ的に結びつかないすね。まあ誰もが感じるのはソレンティーノ=フェリーニだろうけど。

書きなぐりの第一印象。
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