ももまま

この世界の片隅にのももままのネタバレレビュー・内容・結末

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

私がこの映画を映画館で観たのは、テレビで偶然にクラウドファンディングのニュースを観て、ネットでトレイラーを観た時に、「これはただものではない」という直感を感じたからでした。
そしてその予感は見事に当たり、まさに映画館で圧倒されたのです。
芸術性、素晴らしい原作、脚本、演出、アニメーション映画における何か一線を超えたただならぬ完成度の高さを感じました。

感動したというのは容易い。
何に感動したのか?
それを考えることは実は、自己に対するあまりにも深い問いのような気がします。
なぜ、ただただ涙が止まらなくなったのか。
自分なりに解釈してみます。
以下は原作の最終回に登場する、『しあはせの手紙』です。

「突然失礼致します
此れは不幸の手紙ではありません
だってほら
真冬と云ふのに
なまあたたかい
風が吹いている
時をり海の匂ひも
運んで来る
道では何かの破片が
きらきら笑ふ
貴方の背を撫づる
太陽のてのひら
貴方を抱く
海苔の宵闇
留まっては
飛び去る正義
どこにでも宿る愛
そして
いつでも
用意さるる
貴方の居場所

ごめんなさい
いま此れを読んだ
貴方は死にます

すずめのおしゃべりを
聞きそびれ
たんぽぽの
綿毛を
浴びそびれ
雲間のつくる
日だまりに
入りそびれ
隣りに眠る人の夢の
中すら知りそびれ
家の前の道すらすべては
踏みそびれながら
ものすごい速さで
次々に記憶となって
ゆくきらめく日々を
貴方は
どうする事も出来ないで
少しずつ
少しずつ小さくなり
だんだんに動かなくなり
歯は欠け
目はうすく
耳は遠く
なのに其れを
しあはせだと
微笑まれながら

皆が云ふのだから
さうなのかも知れない
或いは単にヒト事だから
かも知れないな
貴方などこの世界の
ほんの切れっ端に
すぎないのだから
しかもその貴方すら
懐かしい切れ切れの誰かや何かの
寄せ集めにすぎないのだから
どこにでも宿る愛
変はりゆくこの世界の
あちこちに宿る
切れ切れの
わたしの愛

ほらご覧
いま其れも
貴方の
一部になる
例へばこんな風に
今わたしに
出来るのは
このくらいだ
もう
こんな時
爪を立てて
誰の背中も掻いてやれないが
時々はかうして
思ひ出してお呉れ
草々」

戦時下における人間存在の意味。
愛する家族、人生の意味、命の尊厳。
そんな無数の尊いものは、原爆の一撃の瞬間に、あっけなく消失してしまった。
焼け野原を彷徨う子供は、全ての幸福を瞬時に奪われても、なす術もない人間存在の象徴のように思えます。
なぜなら『私』など、この世界の片隅にある、ほんの切れっ端に過ぎないのだから。
深い絶望の中から生まれる、ささやかな愛や希望、変わりゆく世界あちこちに宿る私の『きれぎれの愛』こそが、人間存在の意味なのだ、と。
原爆体験の語り部である存在は皆、高齢化し亡くなり原爆体験の記憶すら現代社会から日々消失していく中で、『私』の心の中では今なお、『きらめく日々』と『懐かしい切れ切れの誰かや何かの 寄せ集め』が、『どこにでも宿る愛』が存在している。

戦時下でなくても、ある意味私達人間は全て『ものすごい速さで 次々に記憶となってゆくきらめく日々を貴方はどうする事も出来ない』で、いつかは死ぬんです。遅かれ早かれ。

幸福は、誰でもないこの世界の片隅にただ一人存在する『私』の中にのみ存在している。
すずや焼け野原で母の死を体験した孤児は、いわば自己の内面にある世界から切り離され切れ切れになった存在でありながら、やはりこの世界の片隅で誰かと出会い、そこで愛を育みまた自己の世界を再構築していく。
どこにでも宿る愛、いつでも用意さるる『私の』居場所。

極限状態にある中に描かれる人間の『愛』という感情の強さ。
言葉にしてしまうと陳腐だけれども、無意識に涙が溢れてしまうのは、そんな感情に支配されてしまうからではないかと、ふと思いました。
まさに、珠玉の名作、という言葉がピッタリ当てはまる映画です( ^ω^ )✨
ももまま

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