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この世界の片隅にのtsuraのレビュー・感想・評価

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
4.2
話題の作品でありながら中々見る機会を逃していた本作。

このほどようやく鑑賞に漕ぎ着けたわけだが、高評価の理由は言うまでもなく戦争を"別視点"してから捉えているところのリアリズムが先ずあるわけで、それはまさに主人公すずさんの闘い"を描いた戦争映画であった。

ある程度ストーリーに触れないと説明が難しいが彼女は広島市で産まれ、生活していたが19の齢の頃に呉市の北條家へ嫁ぐ。

そしてひとりの妻として、嫁いだ女としての日々が克明に描写されていく。

映画は緩いと言えば語弊あるかもしれないがのんの声が放つ癒しを纏い、温かな昭和の家族ドラマの趣きで構成されている。
(幼少期の夏の日の描写には最大限の愛を込めてノスタルジーを禁じえない)

しかしやがて戦争という暗い影が市井にも色濃く映る。
もちろん民衆を標的とした爆撃シーンなんかもきっちり描写されていて、そのシーンはまさにアニメとは思えないリアルさで捉えてる。

しかしそんな分かりやすい戦争じみたシーンを越えてその「変化」の過程は丁寧で、戦争の激化に伴い、(戦線後退が顕著な大戦後期)すずが受け取りに行く配給量の減少や食べるご飯の工夫などからも察しがつく。
(触れずにいられないのは市井の描きこみである。その工夫を凝らされた料理のストーリーは非常に面白いし、当時の人々の生活がよくわかる細部のストーリーや街並みには今はもう無い、失った何かを感じる)

失ったものは何なのか。

私達は映画を通して戦争を疑似体験していたわけだが、今作もそうだが戦争の終結と同時に爆発した矛先の分からぬ怒り、哀しみに言葉が見つからなかった。


クライマックス。

原爆の犠牲で孤児となった子供の話は実は
戦争時代にはよくあった話だと思う。
(直接ではないが聞いた話で自分の祖父の代にも戦争からの帰還時に孤児を連れ帰ったという話を聞いたことがある。)

そして映画のそれにおいて言えばすずがもしあの時、広島に戻っていたら…まさにあの怪我を負った母親と同じ運命を辿っていただろうことを暗示する様な伏線またはアナザーストーリーとなっていることにこれ以上無い、原爆の恐怖が描かれている気がした。

あえてこの原爆を直視しないという勇気。
またはその表現をしなくてもその凄惨さと残酷さと無意味を理解させる外側からの視点の丁寧な語り口。

私はこの作品のクライマックスはその怒涛の原爆描写が待っているのだろうと思っていたが、映画の中の人々がこの新型爆弾の情報の少なさに対して抱く疑問や不安と同じ様に作品を見てる観客も情報が少ないことがかえって多くのメッセージ、意味をもたらされているのだと感じた。


戦争を語ると言葉が止まらない。
ここに書く内容なのか迷うが、母方の家系は戦前はそれなりに裕福だったと聞く。しかし激戦地での家族の戦死、また満州からの撤退、大阪の空襲、戦後の混乱などがありそれらは消えて無くなったという。

祖父が「世が世なら」と冗談めいてよく言っているが(ユニークな祖父だからこその言葉であるが笑)この映画の様な体験をリアルでくぐり抜けた者の言葉として改めて咀嚼してみると、あながちジョークでも無いのだろうと感じてならない。

そのブラックジョークの奥にある"もしも"が本当にあったらまた彼等も違う幸せを噛み締め生きていたのだ。

あれから何十年と経ったが…未だに世界中で誰かが誰かを殺める事を正当化しようとした大義名分の下で事件や戦争が続く。

世に問いたい。

それが正しい道なの?

ほんとに必要なの?

人間は考えて、相手を思いやって、美しい道筋を作れる動物であると思う。

もう少しみんなで冷静になって良い答え出し合い手を取り合える時代にならないと。
言ってもあと80年もすれば22世紀だ。

次の時代の子供達にいつまでこんな宿題を残したままにすればいいのだろうか。

脱線してしまったが、一つの作品で沢山の感情に揺れたわけでした。
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