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カミーユ・クローデルのtheocatsのレビュー・感想・評価

カミーユ・クローデル(1988年製作の映画)
4.0
ネタバレ
カミーユには嫌悪反感しかないが映画は佳品

カミーユ・クローデルの外交官であり詩人でもある弟ポール・クローデルの孫が執筆した彼女の伝記が原作とのこと。

フランス印象派の絵画史に名前が出ることもあったかな?という程度の認識しかなく、いわばカミーユ初体験。

本作品の印象を述べるなら「嫌悪・反感」。
もし女性なら彼女の人生に同情できるのかもしれないが、あそこまで理性を喪失し、荒んだ生活をし、極度の敵意と被害妄想に陥落してしまった精神的経緯が理解できないというのが本音。

ロダンとの愛人関係は誘惑をかけたロダンにより多くの非があるのかもしれないが、たとえ妊娠・流産という経過があったとはいえ、そして彫刻の師匠弟子という関係があったとはいえ、奥さん(実際は違うが)との別れを強要し、それが叶わぬとなったら「狂女」となって喚きたてるなど、見てるこちらも全く同情しかねる。

それ以降、自分の殻に閉じこもってしまい、他人の善意さえ悪意としか受け取れぬほど正常心を喪失し、個展成功で社会的成功の足掛かりさえつかんだのに、自らの手持ち作品を全破壊し、取りつく島のない深い深い自閉症に陥ったとあっては「最後の善意を差し伸べていた家族」さえさじを投げざるを得ないであろう。

元々彫刻関係には興味が薄く、本作品視聴中に彼女の伝記関連を読もうかという気には少しなったのだが、あんな自滅としか言いようがない悲惨な経緯を見せつけられてはもうたくさんという感じ。


という感想を抱かせてくれた主演イザベル・アジャーニの演技は見事だったとしか言いようがありません。
そして監督の演出も抜かりがなかったように思えます。
音楽は中盤位まで少しうるさすぎるのでは?と否定的でしたが、いやいやあの背景音楽こそ彼女の激しく揺れ動く心情を表現する一つの重要な要素だったと最終的に思うに至りました。

共感を欠いてしまったため総評四つ星


※フランス印象派の画家たちが精神失調を患うことが多かったのは、アブサンというあの当時流行りの有毒性飲み物が一役買っていた。という説があり、カミーユ・クローデルの狂女化にももしかしたら関与しているのかもしれませんね。


◆追記
ゴッホとの共通性が後でじわじわ浮上してきたが、映画中でもゴッホの絵が象徴的に挿入されていた。
ゴッホが一世代位年長となるが大きな違いとして生まれの貧富の差。家族の理解。金銭的支援の差。など
全く絵が売れず、弟テオからのぎりぎりの支援しか受けられず、赤貧と狂気のうちに自殺したゴッホ。
裕福な名家の娘として生まれ、母親からは疎んじられても父親は理解を示し、作品の国家買い上げなど一応社会的には認められ、狂女化してからも家賃など家族からの支援は継続していたカミーユ。
やはり両者を比較すればゴッホには同情できても、カミーユには同様の心情にはどうしてもなれない。
ウィキでは出産を認めないロダンにより中絶させられたとあり、不倫関係も10年以上にわたり、その間芸術面でも私生活面でも多大な貢献をしてきたとある。
であれば映画だけではその間の事情描写は十分ではなかったのかもしれない。

しかし、あれだけ清楚、妖精のごときオーラを放っていたカミーユ(アジャーニ)が狂女化していくにつれ醜く変わりゆくさまには「痛々しい諦念」という心境にさせられるほかなかった。
精神病院隔離から30年生存したのは決して彼女にとって幸福なことではなかったのは間違いなさそう。何しろ妄想が肥大し母親や周囲の入院者などを見下すことで精神的優位を保持する日々だったということだから。

012007
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