上映時間5時間越え+休憩2回と自分の映画館の鑑賞時間最大記録を更新。
そして個人的に自分の備忘録的な意味合いの強い感想を残したいと思っているので、話が長ければ長いほど必然書くことも長くなると気づく。
多分これまでで一番長い感想かつフワッとしてるが故の駄文になっていると思う。
気のおけない友達同士、4人の女性の人生のほんの一部分。
これは本当に本当に敢えての表現ではあるけれど、きっとどこにでもある話だと思う。
ただその切り込み方とか、そういうところで繋がりも感じさせるのね!みたいな点でなんともないの極みみたいな光景が輝いてみえる。
(特にコーヒーミルとか赤ちゃんのあたりははぇ〜🙄ってなった。)
ただ無理やりまとめると結局は究極的に言語化できない自分の気持ちと、他者との関係・距離感の話なのかなとは思った。
(超)長編作品としてのつかみのカットはやっぱり最高で、その後のシチュエーション一つで彼女たちの関係だけでなくその強度とも言える情報を補強する感じが良い。
この尺だからできたであろうフル尺ワークショップ。なんかよくわかんないけど非日常を体験することで発生する一体感みたいなものが生まれる瞬間を仮想体験できた気がする。
そしてそんなことよりあの打ち上げ。
あの講師のゴリゴリ質問攻めにする感じがめちゃくちゃ理解できるし、実際してることもある気がした。自分では他の人にあんまり理解されないと思っているのですが、なんだろう...それぞれに理由があって起こってしまういざこざ、極論なんかイヤな空気になること自体個人的にはそんなに嫌いじゃない🤔
それよりもなんでそう思ったのかという思考の過程が聞きたくてしょうがない。で、その結果別にどっちが正しいとか決めたい訳でもない。ただ知りたいだけ。そのときに口から発せられた言葉が全てではないと思うけど、やっぱりそれは嘘じゃないと思えたり、嘘だとしても本人も聞き手もそれに気づくきっかけになる気がするから...
この瞬間だけを言えば、実は今まで見た映画の中で最も共感できる人を今日みつけたんではなかろうか?というレベル。
まぁ、周りにいる人たちがヤな空気なっちゃったな〜と思うのは申し訳ないからやたらめったらしてないとは思いたいのですが...
ただ重要なのは作中に出てくる通り、聞こうとする意思があるし、相手もこちらに話そうと思う前提がある場合の話。
もう一点、作品内では鈍感すぎる存在として描かれている男どもの状況は割と他人事じゃないし、なんだったら男側という意味で"わかる〜"ともなった。都合が悪いのでこれ以上の言及は避けますが、というかこれがあるから他人の思考の過程が知りたいんだろうなとは思った。
で、このめちゃくちゃ長い"承"があった後の展開。
なんだこれ?これワシに言われてるんか?っていうくらいの顔面グーパンチをくらったかと思えば、それ他人に思ってる〜みたいなのも連発してもはや笑いが止まらない。(お義母さん、打ち上げ席での作家先生、そう感じること自体はめっちゃわかります!!)
ただその中にも言葉には表しきれない空白がふんだんに含まれており、そこを埋めるために自分の経験と考えをもとにした想像が含まれていること、そもそもフィクションである限り製作陣の意思が介在することを忘れちゃいけない気がする。
結果として主演の方々の演技というか存在感は全員素晴らしく良かったんですが、そもそも演技経験のない方々に任せるというその采配。
ちょっとした好奇心はあったのかもしれないけど、この脚本やったらこれで絶対面白くなるって言う自信がすごい。
途中シーンとアイテムだけで次何起こるか解らせるコーエン兄弟みたいなことやってんなと思ってたら、終盤は(少し無理やりかなと思ったところはあるけれど)、今まで長々やってたやつ全部に意味持たせるんか?くらいの緻密さ、それと同時にえ?は?みたいな展開も多くて面白い。ほんま何してんねん?笑
正直上映中ほとんど飽きずに観続けていたし、逆にこの手のずっとフワフワしてるタイプの映画って(それが必要かそうじゃないかは置いておいて)出てくる要素に意味持たせるためにはそれくらいの時間が必要なんじゃ?という新しい気づきもあった。
状況で人の印象が変わって見えること、なんかよくわかんない人の感情も理解は出来なくてもこういうこともあるかもしれない...的な感じで一定の説得力を持って表現できることが本当にすごいと思う。
その辺含めて、相変わらず純文学読んでる時と似た感覚で楽しめる作品。作品の雰囲気とsexという単語の相性が良すぎるところにもそれを強く感じた 笑
それでこんなに長い時間使うのに最後はそこで終わるんですか。
で、タイトルはハッピーアワーですか、なるほど。
関西にいるとふらっと聖地巡礼もできますね!
何箇所かは行ったこともあったから嬉しい。
他人、友達、夫婦、親子、家族...確かに書面の上でだったり口で言うだけだったらその名称が変わっただけで何が変わるわけでもないかもしれない。
ただ使う言葉が違うってことはやっぱり状況の変化だったり、何かしら相手に特別な変化を求めたいという面があるのかも...
そうなることでより良くなることもあるのかもだけど、基本的に求めるものが変わっても当人は簡単には変われない。
少し振り返ってみると、自分はやっぱり相手との関係性の変化によって求めるものが変わっているのではないかと思う。
だからこそ、いい塩梅でどうでもいいと思えるような"知り合い"くらいの関係が結局一番気が楽なのかなとは考えてしまった。
そうやって省エネでいこうとすると結局どこか浅い関係ばっかりになるんだけどね。特にオチはない。
とにかく、集中できる空間で観れてよかった!