ハッサン

ハッピーアワーのハッサンのネタバレレビュー・内容・結末

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

「人に寄り掛かること(自分の重心を誰かに預けること)で得られる安心感は同時に不安を伴う性質のものである」
ワークショップの総括の一部。

■私たちは学校を卒業して社会に出ると、多くの場合、「家庭」「職場」「限られた友人関係」という閉鎖的な世界で暮らしていくことを強いられる。人は一人では生きられないので、厳しい社会をサヴァイヴするためには自分を受け止めてくれる存在が必要だ。そのような存在を探し、見つけ、寄り掛かることが出来たとき、安心感を感じ、ひとときの心の平穏を得る。

■多くの人は自分が自分を嫌いにならないために、物事に誠実であろうとする。しかし、常に「正しくあろう」とすることは自分の行動に色んな制限を設けることになる。
例えば、自分の気持ちを素直に相手に伝えなかったり、そもそも自分の気持ちに目を向けなかったりする(正しくない感情は不純な感情として蓋をする)といったことがある。(また、そうすることが処世術となっている)
自分をある程度客観的に見ることが出来て、利口な人ほど、段々と空気を読むことが得意になって、自分の正義のもとで自分をルールで縛ってしまう。

■しかし人生は長い。二十代、三十代、四十代と人生は続いていく。(自分も自分の周りの環境も変化していく)そうして、かつて自分の作った正しい「ルール」に依って生活していくのはどんどんと困難になっていく。

■決壊が壊れて自分の気持ちが溢れ出し、身近な人を傷付けたり、平穏な日常を破綻させて初めて、今まで自分がとらわれていた世間一般の常識(愛のない正論)(他人からの目)がいかにくだらないことかを実感する。

■確かに、アカリやフミやサクラコの正義は砕かれ、日常は破綻した。しかし、この映画は自分の現在の欲望に忠実にあれという態度(ジュンの選んだ態度)だけが正解と言っている訳ではない。アカリやフミやサクラコが、嫌で嫌でたまらなくて見放した生活は、見方を変えると、何にも代え難く貴重なものだったんだと分かるときもある。この映画にひとつの結論や善悪なんてものはない。

■人生は自分の気持ちでコントロール出来るものではない。そこには混沌がある。迷いや戸惑いもある。だけどそんな不安や恐れが一概に排除されるべきものだとは言いたくない。だって何もかもは自分が生きているこの世界で起きることだから。自分が生きて、見て、感じられることだから。

■映画館の幕が降りても、まだ映画が続いているような気がして、その感覚に高揚と不安を覚えた。自分の重心は今どこにあるだろう。この映画を観ることが出来てよかった。