このレビューはネタバレを含みます
意思の自律を獲得して物語から抜け出していくシンジくんの物語。
映画を観るという行為について「物語に救われる」感覚が得られる瞬間を何よりも価値のあるものだと思うところで、それは消極的な逃避の先にある積極的な現実への還元というか、こうやって作品(監督)からそのような(物語が必要である)芯が、エヴァンゲリオンの完結として、より高次元の視座から明示されたということに何よりグッとくる。
立ち直るということには時間が必要で、その過程を丁寧に描いていた村。本当に時間が必要。Qの公開から今作の公開までの時間も必要なものになるんだと思う。
アヤナミが言葉を獲得していくのも、田植えをするのも、社会。
監督のキャラクターに対する眼差しの暖かさを切に感じて本気で幸せだった。自分が作り上げた虚構であるキャラクターへの誠意。「もうエヴァに乗りたくない」とずっとずっと言い続けてきたシンジくんの結末をみたら、もうこれ以上ない。20数年をかけての、自己と他者(セカイ)の関係性の捉え方に対する止揚の連続による他者への眼差しの到達。これは物語の内部からも虚構と現実の境界線を探り続ける外部からも。描き上げられたキャラクターもまた他者。
フィクションがここに引き揚げてくれるんだから、現実だって他者に対するところ、こういう風にしたいな、という再認識がある。
そういうことで明日も生きていこうと思いました。
最強!