第三のロース

シン・エヴァンゲリオン劇場版の第三のロースのネタバレレビュー・内容・結末

4.6

このレビューはネタバレを含みます

エヴァとは長い付き合いだ。
何もかもうまくいかずにネガティブだった10代のころ特に寄り添ってくれた。
今では僕自身もそれなりの経験を積んで成長したので、夜中にすがりつくようにリピート再生することもなくなった。
エヴァはいつしか自分にとって必要のないものになっていった。 


そのような背景があったので、「お世話になった作品だし、一応…」というような一歩引いた立場で見に行った。
にもかかわらず、僕はこれを見て、完全に打ちのめされた。
僕は声を出して泣きながら劇場を出た。
周りからどんな風に見えていたのか今になって気になってきた。
もっと周りの反応を見ておけばよかったな。


今回のエヴァは、無論作品としてめちゃくちゃおもしろかったのだが、それだけじゃない。ファンの思い入れに答えるような仕掛けがたくさんあった(インナースペースでの親子喧嘩のシーンでは過呼吸になりかけた)。
なかでも、この作品が「エヴァを見続けてきた人の物語」だったという点に心をゆさぶられた。
シンエヴァは明らかに視聴者を強く意識してメタ的な視点で描いている。
時を経て視聴者の年齢も上がっていって、それぞれ(まさに僕のように)エヴァとのかかわり方もかわっていったはず。
手放しかけていたエヴァと完全にさよならする儀式を、作品そのものがやってくれた。
「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」というコピーが重い。


思えば、「オタクを生み出してしまった」ということがアンノ自身の原罪だったのかもしれない。
旧シリーズからのエヴァにハマっていた人は、少なからず自分とシンジくんを重ね合わせてたはずだ。
そうしてエヴァに執着したりしがみついたりする、時が止まったままのオタクの心は、この物語で描かれているエヴァの呪縛そのものだ。
作品を終わらせて、オタクを作品から開放する。そこまでがセットで、やっとアンノ自身が報われることになるのかもしれない。
僕らが苦しんでいた時期から成長して大人になって、それを手放すところまで面倒をみてくれるなんて、ホスピタリティが高すぎる。


物語の最後で、主人公のシンジは精神的に成長して「大人になる(重要ワード)」ことができた。
シンジはさらに肉体的にも成長して、実写(現実)の世界への飛び立っていく。
このシーンが、冒頭で言ったような「エヴァを必要としなくなった」自分と重なった。
自分はエヴァと(シンジと)一緒に成長できていたんだ、という実感が湧いてきた。
エヴァの呪いは完全に解けた。


僕の中に、エヴァに対するかつてのような執着はもうない。
でも、エヴァはいつまでも僕の心の中にあり続ける。
ありがとう。