NAOZY

シン・エヴァンゲリオン劇場版のNAOZYのネタバレレビュー・内容・結末

4.9

このレビューはネタバレを含みます

長い間待ちましたが、ようやく最後を見届けてまいりました。
ここは個人的な感想を書いていきます。

テレビシリーズから26年かけて、ようやく完結を迎えたエヴァンゲリオンという作品の成り立ちを考えると感慨深いものがあります。

テレビシリーズは最後に作り手の精神的混乱が画面に現れてしまうくらいカオスなものでした。
子供向けのロボットアニメに、それだけ身を削って作品を作るという制作姿勢がサブカル世代や若者に刺さったのだと思います。
旧劇場版はそんな支持に応えて作られたものの、カオス度合いは相変わらずで賛否がありました。
庵野監督は精神のバランスを崩しアニメに嫌気がさして実写を撮りはじめたりしました。

2007年に新劇場版をスタートし、過去の清算を図ります。
序、破、Qときて、今回のシンが完結となります。

観た後の率直な感想は「成長したな」でした。
アニメという表現で自分の内面を曝け出して、もがき苦しんでいる姿が、ある意味見どころではあったのですが、序、破、Qまでは今までのリメイクでしかなかったのが、シンでは方向性が変わったと感じました。
それは前半のニアサードインパクトで生き残った人々が暮らすコミュニティにシンジ、アスカ、レイがたどり着くところから始まります。相変わらず心を閉ざして引き篭もるシンジに対して、レイはコミュニティの人々と交流し、挨拶を交わし、おばちゃん達と農業に勤しみます。
エヴァがコミュ症をこじらせた作品とすれば、今までは、どうやって解決するのかをずっと模索していたのだと思います。(旧劇場版では着地に失敗してますが。。)
それが監督自身が結婚をして会社を作って人と触れ合ううちに変わってきている。今回の前半にくる農村の描写は師匠である宮崎駿監督が得意とする日常での人との触れ合いを持ってきたことによって、今までの自分を克服しようとしているのだという覚悟を感じました。
心を閉ざしたシンジはレイからの一途な呼びかけ(今までと立場が逆になっている)により、心を開くようになる。(直後にレイはクローンだったためLCLになってしまうのですが。。)
シンジが立ち直ったと同時にアスカによってヴンダーに引き戻され、父がいるネルフ本部へと向かう。
ヴンダーと敵戦艦との戦闘の後、ネルフ本部でゲンドウと対峙するシンジ。
ゲンドウは13号機に乗り、シンジは初号機に乗ってエヴァの戦闘が始まる。
舞台はマイナス宇宙という世界で、シンジの頭の中のイメージが現象化した場所で戦う。
父と子の対決はスターウォーズからの鉄板ネタだが、勝敗をつける事はせずに今まで語られなかったゲンドウの過去を描いていく。
ゲンドウがシンジが成長したことに気づいて、身を引く事にする。
ここからアスカ、カヲルの過去を振り返り、最後にエヴァを自分で始末しようとする時、ある曲が流れてきて驚いた。
ここで流れる曲が松任谷由実の「VOYAGER」。
これは1984年に制作された「さよならジュピター」という特撮映画のテーマ曲でした。
まさか、ここでぶっ込んでくるとは思わず、不意を突かれました。
自死しようとしたシンジをエヴァから解放したのは母のユイだった。
人類補完計画は阻止され人類は救われた。
浜辺で一人佇むシンジ。
ここからいきなり動撮(動画を撮影したもの。未完成な段階)がインサートされる。
テレビシリーズの後半でスケジュールが間に合わなくてイラストや原画でしのいだという過去を踏まえて、あえて未完成なものを入れてきている。
マリがエヴァに乗って現れる。
ここでシンジとマリがカップリングされたことに驚いた。まさか新劇場版で追加されたキャラをここで活かすとは!アスカはケンスケ、レイはカヲルとカップルになり、これですべて回収されたわけだ。
最後は成長したシンジがマリと共に駅から駆け出すシーンになる。
ここからアニメから実写の空撮になる。(庵野監督の故郷の風景)
「アニメばかり見てないでリアルな日常に帰れ」
エヴァの呪縛から解放された庵野監督のメッセージであろう。
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