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死の谷間の3110136のネタバレレビュー・内容・結末

死の谷間(2015年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

核汚染でほとんどの人が死んでしまった世の中で、共同生活を始めた男女3人の心理を描いた系。


いわゆる《終末もの》。


●終末ものについて
この作品は一旦置いといて、ジャンル・テーマについて自分なりに整理してみました。

《終末もの》、皆さん好きですか?私は好きです。大きな声では言えませんが《終末願望》というのでしょうか、少しあったりします。とはいえ、実際に新コロナウィルスが猛威を振るう現在において、その願望は弱くなりつつあります。

この《終末もの》、原因とタイミングの組み合わせでいろいろなパターンがありますね。
①何が原因か?
戦争、気候変動、ウィルス、ゾンビなどいろいろありますね。
②今どのタイミング?
開始→遷移→終末、今どのタイミングなのか。

この作品は、①原因は核汚染で、②タイミングは遷移中かすでに終末か、という感じでしょうか。

《終末もの》の魅力はいろいろあると思いますが、
・価値の変化
・資源の奪い合い
あたりがパッと思いつきます。
(★その他にも皆さん思いつくものをぜひ教えて下さい♪)

ちなみにこの作品では上の2つはあまり関係なく、珍しいタイプかもしれませんね。

・価値の変化
価値や価値観の変化。今まで価値があったモノの価値が失われ、逆に今まで見向きもされなかったモノに価値がでてくる。これは《終末もの》の醍醐味の一つかと思います。個人的に好きなのは、それまでは変人扱いされていた人がめっちゃ重宝されるパターンですね。サバイバルオタクとか。

・資源の奪い合い
それまでの豊かな社会からは一変、限られた資源を奪い合う。武器や食料、寝床など。奪い合うためには《力》が必要。人々は集団になる、または徒党を組む連中も。文字にするのが少しはばかられますが、この世界では《女性》も資源になってしまう場合があります。胸クソ悪いですネ。

繰り返しになりますが、この作品では《価値の変化》や《資源の奪い合い》はあまり出てきません。そういう意味では《終末もの》ではないかもしれません。


で、どういう物語なのかと言いますと、
●簡単にあらすじ
核汚染により多数の命が失われた。アンは父親から受け継いだ農場で独りほそぼそと生活を続けていた。アンの農場は渓谷にあり、その地形のおかげなのか、幸運にも核汚染から逃れたのだった。ある日、アンは生きた人間を久しぶりに目撃する。名はルーミスといい、防護服を着ていた。汚染地域から逃れてきたのだという。不注意により被爆してしまったルーミスをアンは看病し、そのまま二人は一緒に生活を送ることになる。孤独さからなのか、二人はいつしか惹かれ合うようになっていった。

しばらくして、アンの農場をケイレブという青年が通りかかる。南に行けば安全な場所があるという放送を聞いたという。ケイレブは被爆しており、しばらく農場に滞在し体を休めていくことになった。ケイレブの登場により、アンとルーミスの関係も変化していく。

―――――
といった感じです。

なんと、登場人物はアンとルーミスとケイレブの3人だけ。でもそんなに低予算感は感じませんでした。


●三角関係
《三角関係》というとちょっと違うニュアンスな気もしますが、他に単語が思いつきませんでした。男2人女1人での共同生活、とくれば当然奪い合いになっても不思議ではないですわな。ここでの《三角関係》は恋愛モノのそれとは少し違うかもしれませんが…。ていうか「ルーミス、アンを抱いとけよ」って話ですけどね。

もともとのアンとルーミス2人の比較的安定した環境から、ケイレブという3人目が加わり、とても不安定な感じになりますが、あの感じ嫌いじゃないです。(少し前に観た《ブラックフット》という作品でも同じ展開があったな)

あの不安定な感じ、多分ポイントは、ケイレブの心理がはっきりとは描かれない事でしょうね。何を考えているか分からない。アンをルーミスをどう思っているのか、農場に留まろうとしているか、先へ進もうとしているのか。

恐らく、観ている側はアンかルーミスに感情移入はしてもケイレブにはしないんじゃないですかね。

・最後のシーンあれこれ
最後、どうなったんでしょうね。滝のシーン、ルーミスはケイレブをどうしたのか?たぶん滝壺に突き落としてはいないでしょうね。「農場を去ってくれ」とかそういう類のことをケイレブに言って、ケイレブもそれを受け入れたんじゃないかな。皆さんはどう想像しましたか?


●信仰と人種
この作品では登場人物が少なく、シンプルな人間関係が表現されます。簡単にいえば《アンがルーミスを選ぶのか、ケイレブを選ぶのか》です。その選択に影響を与える要素として《信仰》と《人種》が出てきます。実際のアンの選択に影響したかはわかりません。特に《人種》
については影響はなかったようにも感じます。

・信仰
信仰については2つ表現があって、1つ目は教会を壊して水車を作る、というもの。
水車を使って発電を行うというルーミスの提案に必要だったのが教会を壊して材料にするというもの。敬虔なキリスト教信者であるアンはそれ提案に難色を示します。ルーミスはアンの気持ちに理解を示しつつも、この計画の合理性を説きます。

2つ目は、食事の前の祈り。アンとケイレブは食事の前に必ず祈りを捧げます。ルーミスはやりません。そこで明確に信仰の有無が表現されます。

・人種
アンとケイレブは白人。ルーミスは黒人。人種に関してアンが差別的な考えを持っているようには見えません。それはケイレブも同様。しかし、ルーミスは「白人同士がくっつくのは自然なことだ」と発言があります。

少し話が変わりまして原題について。
《Z for Zechariah(ザカリア)》、ザカリアは新約聖書に登場するそうです。なかなか子供を授からなかった。どうも宗教色が強そうなタイトルですが、宗教について明るくないので、そのあたりの含みがよくわかりません。(★詳しい方、ぜひ解説をお願いします)《Z》って出てくると「ゾンビか!」と思いますが、ゾンビは一切出てきませんよ。

端的に《信仰の象徴である教会を破壊し、実利の象徴である発電所を作る》ところにメッセージがあるのかも、とか思ってみたりして、でもちょっと無理があるかな〜。

完全に脱線して邦題について。
《死の谷間》、まず《谷間》と見ると《胸の谷間》を想像してしまい集中できない(あくまで私的な問題)ので、シンプルに《死の谷》でも良かったのでは。《風の谷のナウシカ》はあくまで《谷》であって、《風の谷間のナウシカ》ではおかしいですしね。

《死》については、ストーリー的には《生》なんですよね。奇跡的に核汚染を免れた地形。なんで《死》にしたのか。インパクト重視かな。ま、でも《死》だったから観たというのは正直あります。《生の谷間》だったら観てないかもな。


と、何だかフワッとした感想になってしまいました。
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