タケル

ヒトラーの忘れもののタケルのレビュー・感想・評価

ヒトラーの忘れもの(2015年製作の映画)
4.1
戦争に明確な終わりはない。「戦後」という時間の中でも、戦争の後処理を担わされた者が存在した。大人たちが残した負の遺産。そのつけを払うのは、子どもたちだ。

地雷というのは残虐性の塊のような兵器だ。設置者は何のリスクを負うこともなく、敵に恐怖を植えつける。歩み出すことへの恐怖心。しかし、退却は許されない。選択の余地がないまま歩み出す身体は、粉々に砕かれる。極度の緊張状態と徹底的な破壊。作中の少年兵たちと同じように、終始私の心も落ち着きを失っていた。

この作品のテーマの一つは「戦争の責任」であったと思う。子どもに罪はない。中には自ら望んで戦争に加担した者もいたのかもしれない。だが、彼らの「意志」は大人たちに誘導された結果、"つくられた"ものであったのだろう。デンマーク軍の軍曹は、何の罪もない子どもたちが壊れていく様に耐えかねて、彼らを逃すことを決意する。本来なら敵どうしの存在が心を通わせていく過程には、少しの希望を見出すことができた。

しかし、もし、敗残ドイツ軍が少年兵の寄せ集めではなく、大人たちの集団であった場合、軍曹はいかに行動しただろうか。ここまで心を動かされることがあっただろうか。
その答えはわからない。ただ、戦争の中で罪を犯した者も、必ずしも自ら望んでそうしたわけではないのは確かだろう。

罪を犯した者なら、食べ物を与えなくてもいい、怪我をしたまま放置してもいい、命を落としかねない仕事を押し付けてもいい。そんなわけがない。戦争は虚しい。目の前の彼を憎んでも、何の解決にもつながらないのだ。

エゴイスティックに肥大する大きな力に抗うこと。それはもちろん重要だ。ただ、私たちはどこまでも臆病で小さな存在だ。
それならばせめて、あらゆる他者と心を通わすことができるよう、開かれた自分でいたいと思う。その勇気がきっと、自分の魂をも救ってくれるのだろう。
タケル

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