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素晴らしきかな、人生のzomychanのネタバレレビュー・内容・結末

素晴らしきかな、人生(2016年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

それぞれの登場人物の重要性や設定だけきくと、かなり物語の展開が複雑なような気もする映画ですが、娘を亡くして仕事にも手がつかず人とコミュニケーションもまともに取れない主人公が「愛、時間、死」と向き合い娘の死を受け入れて前進するお話です。

お話のちょびっとややこしいところについて、私としては2つありました。
◎「愛、時間、死」は、お金がなく自らの公演も開催できない3名の演劇俳優らによって擬人化され、主人公の目の前に現れその3つの重要性を説く設定がある
◎その様子は映像に記録され経営者として不適切な言動とみなして会社を売却する重要な証拠(根拠)の一つとして利用する

1点目は観客が主人公と同じ立場で鑑賞し、事前の説明なく擬人化された抽象概念が話しかけてくればかえって混乱のもとになる。映画の中の設定に安心して入り込むことができる。
2点目は映画で忘れがちな、生きるための仕事をどうしているかについて触れている。この人どうやってお金稼いで生活しているのかしら?みたいなのがない。
こういう意味で若干こんがらがりつつも意図を想像してみた。

病気で娘を亡くしたことから誰にもぶつけようのない痛みを持っている主人公は、何をしても救済されずに絶望感に打ちひしがれています。娘がいなくなったということが受け入れられず、娘が生きていた頃が100%であり、元の自分に戻れたら、とも感じているんでしょう。

他者の存在によって初めて自分が満たされるのは、人として仕方ないことなのでしょうか。娘よりも、娘といた時の父親としての自分が失われたことで混乱が生じているのではないでしょうか。自他の境界があいまいになるほどに、大切にしていたんでしょうねきっと。
喪失感を味わうからこそ人生の美しさがわかるというのは、喪失の当事者にとってあまりに空虚なものであると同時に、時を経れば事実であるというのが、この映画の教訓でしょうか
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