ドンチードル

バービーのドンチードルのネタバレレビュー・内容・結末

バービー(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

第一印象としてはGenZにウケにいったな、と思った。バーベンハイマーというキャンペーン、人気の音楽アーティスト、ネット人気が高いキャスト(特にライアン・ゴズリングとジョン・シナ)、DepressionやAnxietyやExistential CrisisというGenZがよく感じる辛さを描いたり、敵を作らない、誰でもノレるような楽しく面白い作風とか。

だから何だ、沢山売れに行って何が悪いんだ、って言うと、この映画の影響力の大きさが怖い。この映画は、「このメッセージ性、この考え方は正しいものだ」という価値観を大きく広めたと思う。しかも一番影響を受けやすく拡散力のあるGenZに。

今作のメッセージ性は確かに正しいが、問題だと思うのは、「この考え方が正しい」ということは「その考え方の前提条件も正しい」ということになること。要は「女性は自由に成りたいものに成れるようにあるべきだ」と主張をするということは、無意識にでも「1:女性は自由ではなく、2:その解消が男女格差の解決につながる」と考えているはず。

確かに男女格差はまだまだあり、社会構造的にも女性の自由が奪われているが、それは必ずしも女性の責任だけではなくて、むしろ男性の責任であるのにも関わらず、この主張では「男性ではなく、女性が変わるべきだ」となりませんかね?この主張に賛成するだけでは、根本の原因は「女性に変わる気がないから」ではないのに、そう言いくるめられてしまっているように感じるし、女性が自由な選択ができれば男女格差が無くなるようにも聞こえる。「女性が自由な選択をできるべき」なのは当然であるとして、その先を探るべきじゃないか。

人形のバービーが子どもたちに与えた影響や、バービーランドそのもののように、一つの価値観のみを共有することは危険だとこの映画は言っていた。この映画はそれと丁度似たように、現実をある一つの価値観に染めてしまうように見えた。人形が広めた女性の価値観だって当時は疑われなかったわけで、今作の「女性は成りたいものに成るべきだ」「男性は女性からの承認欲求を捨てて自尊心を持て」というのは正しいことだけど、そもそも「男と女」と区別することが個人を無視した大きな括りであることは見落とされていそうだ。今作のメッセージは、男性と女性の主語を入れ替えても成り立つ。変わるべきは男女両方だ。それなのに女性向け、男性向けのメッセージに見えるようなストーリーテリング自体が、潜在的な男女区別の意識、男女格差の根本じゃないかね。