TaiRa

アイリッシュマンのTaiRaのレビュー・感想・評価

アイリッシュマン(2019年製作の映画)
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『グッドフェローズ』や『カジノ』と並べるより『沈黙』の横に並べたい、スコセッシ終活シリーズ。

2019年のアメリカ映画でいくつも描かれた「男の終焉」の一本。「有害な男性性」についての辛辣な。もしくはようやく成り立つ20世紀批評。イングマール・ベルイマン『野いちご』の型を用いた回想の映画。あの映画も父権制批評だった。フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)が車で向かう先は結婚式。その道中にラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)の仕事を片付ける。挟み込まれる回想。「ジミー・ホッファを殺した男」であるフランクの人生を彼と一緒に振り返る。スコセッシはデビュー時から一貫して罪と贖罪の作家だった。自身の「有害さ」に自覚的な人だが、その自分をコントロール出来ない。そういうアンビバレンツな人だ。第二次世界大戦に従軍し、PTSDも患わなかった「普通のアメリカ人」フランクという、どこにでもいる間違い続けた男を描く。映画は3時間半もあり、往年のスコセッシ映画の様なテンポも、ポップさもないに等しい。鈍重で冗長な語り。登場人物も大半が老人で運動量も低い。CGの若返り技術は凄いが身体は若返らないのでヨタヨタ動く。それらが無意味ではなく効果を表すのは最後の30分。この30分の為に3時間の前振りがあると言っていい。リアルなマフィアを描き続けたスコセッシにとっての『ゴッドファーザーPARTⅢ』(のあるべき姿)というか、捨ててはいけない物を捨ててしまったヤクザ者は、その後の人生をどう生きるかという事。だからこそのコルレオーネ親子(デ・ニーロ&パチーノ)の起用とも言える。信奉され続けた男らしさ、男の世界の空虚さを突き付ける。扉で終わるのも『ゴッドファーザー』と対になっている。同時にこの終盤は『グッドフェローズ』のジミー(デ・ニーロ)のその後、でもある。
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