余韻が、余韻が響いて響いてわたしのなかで波打っています。
徹底的にコーディネートされた清潔な画面の中でばきっと映える赤がものすごく印象的。
トムフォード氏、参りました。
あんたんとこの口紅買ってしまいそうです。
と思ったものの、画面に映る美術品等々はトムフォード個人所有のものもあると聞いたw座の薫堂さんが「それで節税してるのでは?」とおっしゃった瞬間口紅は買わないでおこうと思いとどまることができました。
ありがとう、薫堂さん。
節税とかいう下世話な単語を聞いても、それでも余韻はやみません。
上質な、上品な、丁寧な、残酷な、そんな映画でした。
―ピンときた中国の小話があったので追記―
とある高級官吏はとある高級娼婦に恋をしてしまった。娼婦は言った。
「もしあなたが、私の庭で、私の窓の下で、百夜私を座って待つことができたら、私はあなたのものとなりましょう。」
ところが99夜目、官吏は座っていた椅子から立ち上がり、その椅子を小脇に抱え立ち去ってしまった。
…待ってたのはつまりどっちだったのか。
これを引用したロランバルト曰く、
待たせることは権力であり、恋する人の宿命的なアイデンティティというのは「私は待つ側の人間である」ということにほかならない
そうです。
やぁ〜、余韻。