シャチ状球体

あの頃エッフェル塔の下でのシャチ状球体のレビュー・感想・評価

あの頃エッフェル塔の下で(2015年製作の映画)
4.1
人物をレンズ越しに覗いているかのようなカメラワークやカメラに向かって話しかけるキャラクターたち、自分とは何か、他者とは何かを会話の中で見つけようとする男女、毛沢東思想に傾倒する学生……ヌーヴェルヴァーグを高いクオリティでオマージュしたこの映画は、ポールの過去を年代を遡りながら回想していく。

回想の殆どはエステルとの出会いと別れ、三角関係に費やされる。ポールは母に先立たれ、父親とも不仲で家を出ていった過去があったり、ソ連に旅をしたりとなかなかに壮絶な過去があるのだが、ここら辺の話はあっさりと流れるように済まされるので、あくまでも世界観の説明に過ぎなかったらしい。
エステルがいかに大切で、かつ視野狭窄だからこそ没頭できた10代の恋愛をいつまでも引きずるポールの嘆きを見せられ続けるのは決して有意義な時間とは言えないかもしれないが、哲学的な会話には納得させられる部分も多々ある。

ポールはエステルと2人きりの宇宙に生まれ、そこから放り出された後も戻りたいと乞い願っている。この場合の宇宙とは内的世界のことで、生まれるとはアイデンティティの確立のこと。

絶対に取り戻すことができないからこそ絶対に取り戻さなければならない。時間を巻き戻すことはできないからこそ現在は理想的な過去と地続きでなければならない。その強迫観念に囚われることは決して苦痛ではなく、存在の証明だ。
人間は過去を思い返して比較するからこそ現在を知り、他者と時間を共有して感情を揺さぶられるからこそ自分を認識する。ポールは、エステルに執着することで何とか自分自身を保ち、存在が消えないようにしている。職業が外交官であるとか、そんなことはどうでもいい。ただ、自分がどこにいて何者であるのか、または何者であったのか、そして何者になりたいのかを確認するにはエステルを介さなければならないので、生き続けるには過去に囚われる必要がある……。
シャチ状球体

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