麻生将史

天空の城ラピュタの麻生将史のレビュー・感想・評価

天空の城ラピュタ(1986年製作の映画)
4.6
(ジブリのことになるとなんか偉そうに語っちゃうやついるよねわたしですすみません)

何度観ても新鮮に面白い名作とは、このラピュタのためにある言葉だよほんと。


観た人みんな感じると思うけど、お話のテンポ感、スピード感、冒険のワクワク感が神がかり的だ。よく言われる「上下の移動」で、どんどん舞台が切り変わるのがミソだろうけど、今回見直して気がついたのは、キャラクターの演技が実はめちゃくちゃ丁寧なことだ。

その場の目的となる動作の一個前に、別のアクションが挟まれる。
パズーがシータを受け止めに走る時、大きいパイプを乗り越えるとか(これがあることで「あぁ間に合うかな…」とミニサスペンスになる)、いざ受け止める時に一旦腕を伸ばすんだけど、手に持ってたスープを地面に置くとか。親方に呼ばれて下に駆け出す直前にシータに上着をかけてあげるとか。「40秒で支度しな」、ハイテンポで準備するのかなと思いきや、それはそうなんだけど、鳩たちに別れを告げて、入り戸を開けてやるシーンがちゃんとあるとか。(あの場面でハトのことなんか観客は完全に忘れてるよ)

またその逆で、観客の認識よりもワンテンポ早くアクションを起こすシーンも多い。
パズーとシータが廃鉱山の底に降りてきた時、パズーが何やらカバンからものを取り出してゴソゴソやっている。「ああまだ消えないで」。そうか、飛行石が光ってるうちに灯りを用意しなくちゃいけなんだ、と観客はここで気づく。また、タイガーモス号の見張り台で「上にあがると電線管が使えない。中に電話があるか…「電話ってこれね」「すげー」のシーンとか。ラピュタに到着した直後、縛っていたロープをシータが解こうとするがなかなか解けず、それを待たずにパズーがシータを持ち上げて駆けていくシーンとか。

ものすごく展開を圧縮しているはずなのに詰め込み・急ぎ足感をあまり感じないのは、観客の認識よりもワンテンポ遅らせてもうひとアクション挟んだり、逆にワンテンポ被せることで物語を推進させたりと、このキャラクター演技のリズムが生理的な心地よさを生んでいるからだと思った。
(細かいキャラクターの演技は彼らの実在感にももちろん寄与している)

加えて、周縁的なアイテム使いが巧みで、この世界観に重みを持たせている。
パズーが軍に捕まって入れられる石牢。ドアのそばに壺が置いてある。おそらくは排便用なんだろうけど、そう一目でわかる。さらにパズーの家のドアにはレンガが括り付けられていて、おそらくはラッチの代わりになっているんだと思う。
そういう丁寧さが作品に通底しているから、ファンタジーに無理矢理感がない。早いテンポでも心地よくノレる作劇になっている。


そして今回見直して改めて感じ入ったのは、栄華を極めたラピュタの終焉、その寂しさ切なさだった。

まずオープニングアニメーションが凄すぎる。ラピュタの興亡史を神話的に描いていて、かつて栄えた古代文明への郷愁、ロマン、神秘的な謎が一気に掻き立てられる。
そしてパズーたちがラピュタに辿り着き、散策するシーン。ここがもうマイベストだ。古代文明の残滓。水中に打ち捨てられたかつての生活。朽ちても墓標を守るロボット。
「科学もずっと進んでいたのに、なんで……」
人類の根源的な悲しみと言ったら大袈裟かもしれないが、決して永遠ではあり得ない私たちの寂しさ。透明な死というか、この独特な清廉さが何ともいえない気持ちにさせる。
そしてラスト、ラピュタは閉じ、ついに高く昇る。かつて栄華を誇ったラピュタの最期だ。あり得たかもしれない人類の依代なんだ。その歴史ごと掬い取って、ラピュタは遠く昇る。



・冒頭の飛行船から落下するシーン、このスピード感にゾッとする。重力の強さを印象付けることで、空に浮くカタルシスが際立つのだろうな。

・ジブリは全部そうだけど、やっぱりラピュタも音楽が印象的だ。
地下のポム爺さんとのシーン、石がざわめく場面の神秘的な音楽、「龍の巣だー!」からの音楽。天空の荘厳ななものに畏怖する感覚を呼び覚ますよう。

・指を伸ばさずに手を振るポム爺さん。お年寄りってほんとにあんな感じで手を振るよね。

・ムスカの台詞「あの石頭は私のより頑丈ですよ」。空き瓶殴打のことちょっと根に持ってる?笑

・ロボット兵のビーム攻撃。熱膨張で爆発するの恐ろしくて好き。ラピュタ人(んちゅ)の凄まじさ、業。

・ムスカの部下が電話線切るとこ、ここら辺の工作芸が細かいよね。
意外と「通信」がキーワードになっているのかもしれない。
最初のムスカのモールス信号もそうだし、タイガーモス号の通信管もそうだ。空でのコミュニケーションは通信が前提なんだ。
もしかしたらここら辺にラピュタ文明が滅びた遠因があるのでは。地に足ついていれば直接会いに行ける、話せる。顔の見えない通信が文明に分断を生んだのかもしれない。(公式設定では疫病ということだけど)

・フラップターで低空飛行する気持ちよさ。パズーの覚悟の顔。この瞬間にパズーの内的動機は切り替わった。父の無念を晴らすこと、ラピュタのロマンを追うことよりも、シータのために…!というのが第一に来た。一度物語の舞台から降ろされた主人公が、覚悟を決めて再び舞台に戻ってくるシーン。だからアツいんだ。

・もう2度と帰ってこれないかもしれない、穴だらけの故郷に、静かに別れを告げるパズー。

・Twitterで興味深い考察をしている人がいた。ざっと要約すると「ドーラの若い頃がシータなのだとしたら、それと対になるようにムスカはパズーの成れの果てだ。代々ラピュタの秘密を受け継いできたムスカ。そして父からラピュタのロマンを受け継いだパズー。ラピュタの妖気に魅せられたムスカと、シータの願いために父を超克せんとするパズー。ムスカはパズーの影なんだ。」
これを踏まえると、龍の巣の中で一瞬父の幻影を見るシーンがより含みを持って感じられる。(そしてこのシーンの激烈な作画がやばい)


・「でっけぇ声出すなぇ、聞こえとるワイ」

・「えい!こーい!閣下につづけー!」
先生みたいなノリであんま自分で閣下って言わんやろ。

・「フラップターをしらべ↑な」
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