ナガエ

レストレポ前哨基地 PART.2のナガエのレビュー・感想・評価

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【家族は同じ血が流れているかもしれないけど、一緒に血は流さない】

この映画の中で、一番印象的だった言葉だ。

他にも、こんな風に言う人もいた。

【お袋も妻のことも愛してる。
でもできることならあそこに戻りたい】

「あそこ」というのは、アフガニスタンのコレンガル渓谷にあるレストレポ基地のことだ。42人のアメリカ軍兵が死亡し、誰もが「キツかった」と声を揃えて言う基地で、ほぼ毎日タリバン兵との戦闘が起こっていた。

そんな場所に、戻りたいという。

【こいつらのためなら死ねるって腹を括ってた】

【誰ともあんな関係になんかなれない】

【勲章のためなんかにやってるわけじゃない。大事なのは仲間だ。だから銃弾の中闘っている仲間を守る】

【撃たれた人間は、自分のことは気にしていなかった。部隊のことばかり気にかけていた】

なるほど、これはリアルだなぁ、と感じた。

僕が知っている(という程のレベルではないが)「戦争」は、日本のものだ。特攻とか、本土決戦とかだ。そして、概ね日本の戦争の描かれ方は、「お国のため」という感じになる。他の戦争のことは、よく知らない。まさに戦闘に従事している人たちが何を考えているのか、ということについて。

この映画で描かれる兵士たちから、「国のため」という言葉は出ない。編集でカットされている可能性はゼロではないが、恐らく無かったのだろう。

そう感じる理由は、彼らが、質問に答える形とは言え「好きな武器」について答えたり、「戦闘中はアドレナリンが出る」「何にも代えがたい気分だ」というような発言をするからだ。

別にそれが悪いとは思わない。「国のため」という崇高な目的意識を持っていなければ失格だ、などとは思わない。映画を観ながら、「そうだよな、これがリアルだよなぁ」と思っていただけだ。

映像は、レストレポ基地周辺での実際の映像と、本国に帰還した兵士たちへのインタビューで構成されている。

レストレポ基地での映像は、様々なものが映し出される。血みどろの場面が映されることはないが、銃を撃ったり、危険な巡回(常に撃たれる危険性がある)などはばっちり映る。何故か、タリバン兵が撮影した映像も挿入される(拘束した人間から奪ったのだろうか?) 

しかし、そういう「戦争」を感じさせる場面だけではない。テレビゲームをしたり、ギターを弾いたり、ふざけあっている場面も映し出される。「戦闘」も「テレビゲーム」も、彼らにとっては同列の日常だ、ということがよく伝わってくる映像だ。

そういう中で彼らは、普通では味わえないほどの結びつきを感じる。彼らは、戦闘の恐怖を様々に語る。夜トイレに行けなくなる、銃弾が頭をかすめた、ここから生きて帰ることはできないと思っていた、などなど。しかしその一方で、多くの兵士たちが「戻りたい」と語る。仲間と過ごしたあの時間は、二度と味わえないものだった、という風に。

少し穿った見方をすると、「なるほど、戦争が無くならないわけだ」と感じた。レストレポ基地が特殊だっただけかもしれないが、戦場での経験は、ある種の恍惚感をもたらす。普通では扱えない銃器を扱えたり、普通では許されない「人を殺すこと」が業務である、ということもその恍惚感を高める一助となるだろう。その恍惚感は、日常ではまず味わえない。薬物を使えば近い感覚を得られるのかもしれないが、しかし彼らの感覚で重視されていたのが、「仲間のために」という感覚だ。「あの生死を共にするような戦場で一緒に戦った仲間のためなら」という感覚が、恍惚感の源泉なのだ。

だからみんな、レストレポ基地に戻りたがる。

それが戦場でしか味わえない恍惚感なのであれば、「戦場」が無くなってしまったら困るのだ。もちろん、「恍惚感を味わうために戦場を維持する」なんていう倒錯した論理が実現するはずはないのだけど、しかし、そういう人間が多くいればいるほど、シーソーは「戦場を維持する側」に傾くだろう。

繰り返すが、別にそのことを責めているつもりはない。戦争は無くなった方がいいし、無意味で無益だと思っているが、同時に、戦争が無くなることはないだろうという気持ちもある。無くす努力はすべきだが、もしそれが無くならないのであれば、その無くならない戦争というものに対して、どういう意味付けをしようが自由だと思う。

【酷いことをしたら、それを背負って生きていくことになる。
でも、戻ったらまた同じことをするだろう。
それが戦争なんだ】

この発言をした兵士は、自責の念を抱いているように思えた。他の兵士がどうだったかは分からない。僕の印象では、自責の念を抱いている兵士は他にいなかったように思う。みな、「自分は正しいことをした」という自信を持っているように見えた。いや、それは当然だ。そうでなければ、あんな過酷な場所で15ヶ月も精神を保って居続けることなどできない。

そしてもう一つ感じたことは、「彼らは戦場以外ではうまく適応できないのではないか」ということだ。もちろん、「だから、そんな彼らのために、戦場という”職場”を用意してあげるべきだ」などとは思わない。しかし、繰り返すが、戦争が無くならないのであれば、戦場にしか適応出来ない彼らにとっては、最適な場所だろう。

【攻撃されると、こっちも仕事が出来て嬉しくなる】

戦場から離れれば、同時にこういう感覚も消えるのかもしれないが、普通に考えて、こんな感覚になってしまったら、もはや普通の日常には戻れないだろう。彼らの「戻りたい」という発言の背景には、「今の日常はつまらない」という本音も隠されているのかもしれない。

「戦争」を描く時、「戦争は無くすべきだ」というメタメッセージが付随することが多い。もちろん、それは正しい意見だと思う。戦争は無くなるべきだし、無くすための努力もするべきだ。でも、「正しさ」では動かない現実はたくさんある。戦争というのは、大昔から人間が繰り返してきたことだ。「正しさ」では、無くすことは難しいだろう。であれば、「戦争」をより正確に誤解なく捉えることが重要になってくるかもしれない。

そういう意味でこの映画は、非常に参考になるものではないかと感じる。
ナガエ

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