ゴンベ

金メダル男のゴンベのネタバレレビュー・内容・結末

金メダル男(2016年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

ちょっとなにか言いたくなるようなところは色々ある。ジョン・アーヴィング作品や『フォレスト・ガンプ』的な一代記をやってはいるが、波瀾万丈の人生を集約するパンチラインがあまり浮かび上がってこないので、結局秋田泉一の人生から何を汲み取れば良いのかが分かりにくいところがある。「表現部」での後輩女子へのセクハラ紛いの行動であるとか、そういう一方的な恋慕のエピソードを積み重ねた後でああいうふうに同性愛を拒絶する様を見せられると、そういう時代ではあったにせよ、主人公に共感するのがちょっと難しくなる感じはある。

とはいえ、そこは流石ウッチャンというところで、主人公にはそれでもひとまずもう少し彼の行く末を見届けてみようという気持ちにさせる魅力的な善良さがある。そういう目で見守っていけば、先に挙げたようなガープ・フォレスト的ビルドゥングスロマン映画としての不徹底は、二つの東京五輪の間の日本という国の精神性を踏まえた、それなりに誠実な回答とも思えてくる。

ガープやフォレストの人生が輝いて見えるのは、彼らが客観的に見て「挫折」と思われる出来事を独特の世界観や人生哲学でプラスに捉えてみせるからである。「一等賞になりたい」という動機はそういう認識の転換がどうにも難しく、泉一はほとんど終始「目立てているかどうか」という他人本意な価値観の中で七転八倒する羽目になるが、日本人にとって共感できるのはアメリカ的個人主義の中で大成できる主人公よりも、むしろこういう横並びの社会の中で「うまくやれない」主人公であろう。要はチャップリンなのだ。

道化の愚かさを笑いながら、それが自分の愚かさでもあることに静かに思い至るというのがチャップリンの故郷であるイギリス式の笑いの作用であるのだが、チャップリンはアメリカ人に向けて、むしろ愚かなりにあくまで善良に前を向いて生きることを説いた。ウッチャンが彼を尊敬してやまないのも、すでに自分の愚かさを嫌というほど知った上で、愚か者同士「一緒にやっていこう」というようなその精神にこそ学ぶべきことがあると思うからなのだろう。後輩女子の顛末や村田くんが「たくましく」オネエタレントとして成功することに、アメリカ式のストーリーの自覚的な捉え直しを見るか、逆にアメリカ自身が近年それをやる中で浮かび上がりつつある問題の無自覚な発露を見るかは、各々の勝手である。

せっかく実際の世相と所々でリンクさせているのだから、個人的には民主党政権時代の「2位じゃダメなんですか」という流行語に泉一がどう反応したのかは是非とも聞きたいところだったが、これは原作の舞台劇には入っていたりするのだろうか。映画化にあたってこれが省かれるのは判断として分からないでもないのでなんとも言えないけれど、ちょっと台本なり小説版なりを確認してみたいと思った。
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