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帰ってきたヒトラーのYMのレビュー・感想・評価

帰ってきたヒトラー(2015年製作の映画)
5.0
虚構が現実を侵食する。
かつてギュンター・グラスが「ブリキの太鼓」で戦前戦中史を描くのに、精神病院の中で元・「成長を止めた3歳の幼児」という突飛な視点を持つ語り手が書いた記述、という手法を採り、読む者を困惑させ卑猥で卑小な現実を直視させたように、この「帰ってきたヒトラー」は、ティムール・ヴェルメシュ原作の「帰ってきたヒトラー」映画化作品でありながら、劇中においては、散々これまでフィクション/虚構でステロタイプ的なイメージで描かれたキャラクターたるヒトラーが、観客、つまり現実に住まう我々の側に浸入しては、一気に1930/40年代と同じ思想の萌芽を見つけ出し、その彼の手によって「帰ってきたヒトラー」が書かれ、そして/しかし現実と同じように映画化され、その侵食を劇場に座って目の当たりにする我々にとってみれば、劇中の「ヒトラー」はいま「虚構内現実」にいるのか「虚構内虚構」にいるのか、はたまた我々の「現実」にいるのかがわからなくなるような、「揺らぎ」の感覚に陥ることで、スクリーンによって隔たれているはずの「虚構」と「現実」の境界があいまいになり、ラストシーンでヒトラーの乗る車に向かって手を振る或いは中指を立てる「本当」のドイツ市民の姿にどうしても自分を重ねてしまい、「虚構」を描きだす装置としての劇場から一歩去った瞬間にはもうその「虚構」が侵食したあとの「現実」としてしか、「現実」を理解することができなくなるのだ。
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