Jeffrey

風櫃(フンクイ)の少年のJeffreyのレビュー・感想・評価

風櫃(フンクイ)の少年(1983年製作の映画)
4.5
「風櫃の少年」

YouTubeにて詳しくレビューしているのでもしよかったら覗いてみてください。

https://youtu.be/Ln5ouNHTAa4

冒頭、台湾南部の澎湖島の風櫃と言う村に生まれ育った少年。漁村、都会への憧れ、職探し、閉鎖感からの脱出、恋愛、警察沙汰、父の死、船、喧嘩、仲良し四人組、高雄へ。今、彼らは大人社会の残酷な現実に直面する…本作は侯孝賢が一九八三年に監督した幼少期の作品で、自伝的要素を取り扱った傑作である。この度YouTubeにて台湾映画特集をするためBDにて再鑑賞したが傑作だ。この作品には候孝賢の子供時代の体験がそのまま描写されており、母親は台所で野菜を洗っている時に、彼女が突然腹を立てて息子めがけて包丁を投げつけ、息子の足を切り裂いた場面は候孝賢が十二歳だったときの事件を映像化したらしい。この作品は八十四年度のナント三大陸映画祭大賞の受賞を始め、海外でも高い評価を受けて注目され、台湾映画ニューウェーブの代表作の一本とされた映画である。候孝賢が彼自身の視点と作法をはっきりと打ち出した最初の作品としても有名だ。


さて、物語は台湾南部の澎湖島の風櫃と言う村に生まれ育った少年が、村の生活に閉鎖感から脱出するように友人達と共に最も近い大都市である高雄へと出て行く。都会での新しい経験の数々。しかし、学歴も専門技術も持たず兵役もまだこれからの彼らには、一向に将来の展望が見えてこない。ただただ若さを持て余す日々。やがて警察沙汰を起こし、島にいられなくなる。故郷を離れて大都会に出て行く。主人公の一人であるアチンは少女に恋をする。大人社会の過酷な現実に直面していく彼らの大人への成長までを描く。


本作は冒頭にバス停の看板が映る。カットは変わり、風の音とともに田舎町のロングショット、ー台のバスがカメラに向かってやってくる。静かに音楽が鳴り始め、バスが到着する。カットはビリヤードをする若者たちの場面へ、老人がその点数を小さな黒板にチョークで書く。カメラはビリヤード台の上に転がっている玉を捉える。少年たちの玉をつく手首、南台湾の太陽に日焼けした褐色の肌、海に浮かぶボート、黄色いワンピースを着た小さな少女が街を歩く。一人の大人が若者に威圧されている。 三人の若者がトイレに入っていた青年に外から水をかける。どうやら人違いだったようで逃げ出す。水をかけられた少年は怒る。カットは変わりバイクに二人乗りする少年たちが映る(この場面はリフレーミング効果を出している)。バイクの後ろ部分に座っていた少年は自宅でご飯を食べる。彼の名はアチン。

続いて、彼の自宅の玄関の前ではいつも椅子に座っている父親らしき男がいる。彼の奥さん(アチンの母親)が日が当たるからもう少し避けなさいと彼を後へと誘導する。カットは変わり田園をバイクが疾走する。先ほどビリヤードを楽しんでいた四人の少年たちが街をうろつく。四人はタダで映画を見ようとするが、そこの関係者に見つかってしまい一人が追い出されてしまう。だが彼はなんとかくぐり抜けて劇場の中に入る。そして映画を観る。彼らはモノクロ映画でポルノなしだと嘆く。カメラは座席を固定ショットし、彼らの表情をとらえる。どうやら流れている映画はヴィスコンティの"若者のすべて"のようだ(アラン・ドロンが写っていた)。

そしてここで劇場の音声が流ながら少年一人(アチン)の野球の回想が描写される。そしてその描写が終わり、もう一度アチンがクローズアップされる。カットが変わり、賭博をしている子供たちの描写に変わる。そこには小さな男の子が博打で勝っているのにお金渡してくれない体の大きな少年に食ってかかる。だが返り討ちにされてしまい、少年は大人を呼び助けてもらう。ここで少年四人が喧嘩になる。石を投げたり、鉄の棒で殴ったり…。やがて彼らは逃げて行く。カットは変わり、夕暮れの田舎町を捉え、バイクでにけつしたアチンが自宅へ帰ってくる。そこには牛車にぶつかってしまい体を怪我した兄貴が母親に治療行ってもらっている。

アチンは体が不自由な父親にご飯(お粥)を口に運び食べさすが、嘔吐してしまう。それに対して彼が嫌な顔をしたため母親が彼に激怒する。カメラは一家四人を捉え、兄貴と弟アチン二人をクローズアップする。カットは変わり、少年たちが外で会話をしている。そこへー台の車がやってきて、数人の少年たちがアチンらを追い回す。どうやらお礼参りのようだ。彼は港へ逃げてゆく。カメラはロングショットで追いかける少年たちを捉え、壁際に身を潜めるあアチンを映す。彼は船の上で仕事をしていた仲間の少年に合図を送り、呼ぶ。二人の手には武器、だが連中がいなくなってしまい、仲間四人で夕日に当たる小さなコンクリートの小屋のようなところに体育ずわりをし、外で連中のことを話している。

続いて、田舎町の道路をバイク二台でそれぞれにけつして走り去る彼らを捉える。夜、仲間の一人の自宅へやってきた彼らはバイクを止める。まるでお化け屋敷のようだな、電気はつくのかと一人は言う。電気はつき、その中に入る彼ら…カットはすぐさま変わり、砂浜で戯れる少年たちが映る(この時ヴェヴァルディの四季が流れる)。屋台のラーメンを港の海を見ながら食べ、仲間の一人がグイの従姉妹のメイジェンが砂浜を歩く場面を見て興奮する。そいつが彼女にプッシュしようと駆け寄るが、どうやら人違いだったようだ。カットは変わり、激しい波飛沫が四人の少年たちに覆いかぶさり、外で踊るショットが捉えられる。

カットは変わり、港の海を眺めながらグイがアチンに高雄(ガオション)へ出かけないか?と言う。アロン(仲間の)の姉さんがいるらしく、仕事を紹介してもらえるかもしれないと言うが、アチンは兵役が近いのにと答える。グイはどうでもいいさ、ここで干からびるよりかはマシだと答える。カットは変わり港の風景、釣りをする人々が捉えられる。そして鶏を殺す場面になり、奮闘する少年たちが捉えられる。先日人違いした少女と五人で食事をする。そこで大人二人が乱入して、ー人の老人が少年を思いっきり叩く。次の瞬間、警察署に行って彼らは、冒頭で大人を囲んで威圧していたことがバレた事により、母印を押される羽目になる。

続いて、アチンの母がお前の尻拭いや治療代で大変だから捕まってればいいのにと彼に呆れる。口答えした息子に対して母親がついかっとなり手に持っていた包丁を彼に投げて足に刺さり血が出る。狼狽する母親は手当てしようとする。カットは変わり、田舎町の風景のロングショットが映る。アチンがタンスからこっそりとお金を盗み取る場面、荷物を肩に背負い家を出る(ここでも四季が流れる)。体が不自由な父親のクローズアップの後に、船の上に乗る仲間三人が街に残る一人の仲間に手を振る。彼らは都会へとやってきたのだ。彼らは高雄のアロンの姉の所へと行くつもりで、バスに乗る。カメラは窓に前のめりになる三人の少年アチン、アロン、グイを後から捉える。

河西路に到着した彼らはその道を歩く。それを対岸から流暢なカメラワークでフレームインさせる。そして彼女の自宅へたどり着き上がり込む。姉は彼らに説教をする。そして翌日、彼女に案内され三人はとある所へやってくる。そこは彼女がここに来て初めて住んだ部屋を彼らに貸すのである。彼らは音楽を流しながら部屋を掃除し始める。そして彼らは街に仕事を見つけるためくり出す。やがて、管理人の彼女と少年たちは市場に行き、買い物を楽しむ。そして部屋のバルコニーで食事をし世間話をする。

続いて、アチンが母親宛に手紙を書いている場面へと変わる。失敗したのか紙を丸めて外へ放り投げる。次の紙にゴキブリの死骸がある。それを青いペンでなぞる。そこで音楽が流れ、父親との野球の回想が映り込む。その草むらには蛇がいて、その蛇をバットで退治する父親の姿がある。現実に戻り、アーロンが友達を紹介しに来る。皆でタバコを吸う。だが、管理人の女性についてのトラブルが発生する。早速喧嘩開始。カットは変わり、管理人の青年がバイクで帰宅する。大金を財布から取りタンスにしまう。彼女は化粧をしている。彼女は彼に綺麗?と振り向く。彼は無言のままである。

続いて、管理人の青年と彼女がお互いに不満があり、彼女が髪に火をつけてしまう。それを向かい側の廊下から眺めているアチン。カットが変わり、アーロンの姉の旦那がいる所へやってくる。そこでは麻雀がされている。姉は夫にお金をちょうだいと言い、彼らに小遣いとしてお金を渡して映画館にでも行きなさいと言う。街へやってきた彼らは怪しげな男に金を騙し取られる。彼らはその風景を眺めながらこれが九〇〇元の価値かと嘆く。続いて、日本語の勉強をラジオからしているアチンの姿、窓越しにグイとアロンが遊ぶ。

彼とは変わり、夜。管理人の彼女が泣きながらアチンの所へやってくる。彼氏が盗みを働いたことにショックを受けているようだ。翌日、土砂降りが降る。アチンは外へ出て空を眺める。カットは変わり、職場の屋上で牛乳を飲む三人の姿、管理人の少年ジンフーが盗みを会社で働いたことによってクビになる。彼らは屋台でタバコを吸い、ビールを飲み食事を楽しむ。酔っ払いながらもアパートへと帰宅する。翌日、ジンフーが船に乗って街を出る。寂しそうに一人暗い表情する彼女、港の風景を見つめる少年たち。

続いて、職場で仕事をしている彼らの姿が捉えられる。段ボールを台車に詰め込み工場では稼げないと俺は辞めるとアロンがアチンに話す。カットは船の上に変わり、アチンとアロンが喧嘩をする。アチンはアロンを海に突き落す。やがて、アチンのもとに一通の手紙が届く。それは〇〇の死である。彼は故郷である田舎町へ戻る。静かな原風景、ゆっくりと流れる時間、徐々に昔の回想が色を薄くし出てくる。そこには若き日の父親と母親の姿がある。そして幼い頃のアチンの姿がある。物語はいよいよ佳境に入り帰結へと向かい始める…と簡単に説明するとこんな感じで、久々に見返したけどやっぱり大傑作。とにもかくにも大傑作である。



この作品は、後の監督の幼少期から青年期に至る自らの経験を投入した作品を連作するー本めであり、その中で描写力とスタイルを磨き上げた傑作中の傑作である。実は、候孝賢作品を初めて見たのがこの「風櫃の少年」である。見たきっかけは、当時十七歳位の高校生の男子に、この作品めちゃくちゃオススメなのでと自分の誕生日プレゼントとしてもらったのである。それを見てからこの監督の作品を全てとまでは言えないが国内で見れる作品は見てきた。その高校生とは今もお付き合いしていて、互いに色々とオススメの映画を教えあったりする中である。

この作品のリフレーミングが素晴らしく、例えば部屋をお姉さんに貸してもらって掃除をしているときに、管理人の彼女らしき女性がやってきて、それをとらえるカメラが不意に後退するときに廊下の窓からその風景を捉えている二重画作りが素晴らしいのである。その他にも扉の中の扉を二重構造で捉え、そのままロングショットで階段を上る少年を撮る場面も素晴らしい。特に俺がお気に入りなのは、原チャに乗った怪しげな男に騙されてしまって廃墟のビルの中に入って映画を見ようとしたのに、何もなくてショックを受けている場面で、そのビルの大きな空洞から見える街並みがまるでワイドナなスクリーンのようでカラーで確かに映画だと言う場面がすごく印象的で好きなのだ。

それとなんと言ってもアチンが日本語の勉強(あいうえお順)をラジオから聴きながらメモを取る、そして後に続いて口にするシークエンスは感動そのもの。しかもそのあいうえおの音だけが流れ、場面が変わるのも画期的である。こんなに日本のことを思っている隣国がいることをもっと日本人は知っても良いのかもしれない。確かに八田與一のダムの件でも台湾人は日本に感謝していて、新日になってくれているし、台湾映画を見るたんびにまた台湾に旅行しに行きたいなと思う。それにしても、こんな優しい作品の中にグロテスクな描写を平然と違和感なしに入れるのは凄い。例えば鶏を殺すところは惨たらしい拷問のようで、母親が息子に包丁投げる場面も穏やかではない。魚を外でさばく時に大量のハエが飛んでいるところも気色が悪い。

本作はドラマチックなことも起こらない淡々とした流れの中に少年たちの無為な、それでもかけがえのない青春の時間が鮮やかに息づいている。これが候孝賢映画なのである。ちなみにこの作品麻雀しているアーロンの姉さんの夫役の人って候孝賢自身だよね?それにしてもこの作品の舞台になっている台湾本土から西約五〇キロに浮かぶ島の南部の小さな町はまぶしいほどの日差しを画面いっぱいに感じれる素晴らしい土地柄だなと思う。
Jeffrey

Jeffrey