tomnack93

メッセージのtomnack93のネタバレレビュー・内容・結末

メッセージ(2016年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

『あなたの人生の物語』、および映画『メッセージ』のネタバレを含みます。

原作である『あなたの人生の物語』は、言語学における「サピア=ウォーフの仮説」および、物理学の「変分原理」2つのアイディアをベースに構築されています。

主軸となるのは主人公の言語学者ルイーズが、地球外生命体「ヘプタポッド」とコミュニケーションしながら彼らの言語の体系を解き明かそうとする物語です。その過程で、ルイーズが若くして亡くなった娘との思い出を偲ぶ回想が度々カットインします。
そして終盤で重大な事実が明かされます。この回想は実は「未来に起こる出来事を回想していた」のです。
ここに、言語学に着想を得たカラクリがあります。

「サピア=ウォーフの仮説」は、「使用する言語が思考や認識を規定する」という言語学上の仮説です。
例えば、虹は光の波長であり連続したスペクトルですが、虹は七色であるという文化圏で育った我々は虹をみると七色に分かれていると離散的に認識します。
この分割数は言語体系によって異なり、五色だったり八色以上と通念上思われている文化圏もあり、そこに属する人々には実際にその数の色に分かれている様に認識されます。

作中、ルイーズはヘプタポッドB(ヘプタポッドの文字言語)には時制の概念がないことに気が付きます。 do / did /will do...と言う現在系・過去形・未来形の概念が存在しないのです。
その様な言語体系を用いたヘプタポッドは、過去や未来を同一視し見通す様な思考様式を持っており、彼らの言語を習得したルイーズは「未来を回想する」ことができるようになった。そういうカラクリです。

ここまでのあらすじは映画と原作本で同一なのですが、原作本にはもう一つカラクリがあります。それが物理学の「変分原理」です。
小学校で習う光の屈折の実験ですが、空気中の点Aで発された光は、水中の点Bにたどり着くまでに、必ずしもまっすぐ進むわけではありません。
速く進めるけれども距離の長い空気中と、距離は短いが進むのが遅い水中のいいバランスをとって、到達時間が最小になる様に屈折して進む。
これは、あたかも光の粒子が全ての経路をあらかじめ知っていて、その中で最短の経路を決定論的に選び取らされている様ではないか。ルイーズはそう感じます。

そこには、あたかも変分原理の様に決定付けられた運命に対する諦観と、時間軸を捨象し、娘と生きた一瞬一瞬の事実そのものに価値を置こうとする希望が共存します。

そしてルイーズに提示された問いは、そのまま我々にも突きつけられています。

ヘプタポッドとの意思疎通の試みは、わかりやすく育児と幼児期の言語獲得の過程を思わせます。
最終段落では「そもそもの始めから、わたしは自分の運命を知っていたし、」と、これまで「あなた」に運命を語ってきた独白の主語が「わたし」に置き換わっています。勿論、娘を亡くした私の悲劇と読むことも可能ですが、これは死が「あなた」だけでなく、「わたし」たち全員に訪れることを示唆しています。

少し遡って、人類はヘプタポッドとの「贈り物交換」を通じて、未知の科学技術など役立てることのできる情報を得ようとしますが、結果として徒労に終わります。
人類が何か情報を開示すると、ヘプタポッドは一つ情報を与えてくれます。ただし、その内容は人類にとっても未知のものではなく、ヘプタポッドは結局新たな発見を何も残さずに突然と立ち消えます。
このヘプタポッドの、結果として後に何も残らないごく短い地球への訪問は、引き延ばされた時間軸の極小点でしかないごくふつうの、我々一人一人の生きる時間を暗喩しており、そしてその生の意味を問いかけます。

母子の会話の回想に、「ノンゼロサムゲーム」と言うキーワードが提示されます。これは作中、それまでの文脈と無関係に現れますが、最後まで読んで振り返ると、新たな意味を帯びます。
これらを手掛かりに総合すると、後に何も残さない、ごく普通の我々の人生は、決して死んで何もなかった事になる「ゼロサムゲーム」ではなく、わかりあうことができない他者と、関わりあうことーそれが後には何も残さないとしてもーそれ自体に意味がある、作品全体を通してその様に主張しています。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》
『あなたの人生の物語』は、ゴーギャンが代表作で投げかけたものと同種の質問に対して、SF的なエスプリで回答を提示しました。

ばかうけの映画では変分原理については一切触れられていないので、このあたりは少しメロドラマチックな印象を受けます。原作を読んでいると寂しい端折られ方ですが、くどくどしい説明を必要とするのが目に見えてわかるので英断だとは思います。映画は、何よりヘプタポッドBの意匠が良い。時制の無いことを表現するにあたって、円形を基調としたオリエンタルな雰囲気のある、有機物にも見えるデザインはこれ以上ないほどハマっている。
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