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雲のかげ星宿るのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

雲のかげ星宿る(1960年製作の映画)
3.5
No.368[この邦題はそれだけで泣ける] 70点

リトウィク・ガタクは1925年のダッカに産まれる。父チャンドラは地方行政長官であり、詩人・劇作家でもあった。リトウィクと双子の妹プラテーティは9人いた兄弟の末っ子だった。幼い頃ベンガル飢饉によって東ベンガルからの何万人もの難民と共にカルカッタに移り住む。また1947年には印パ分離独立を経験しており、これらの経験が後の作品に影響を与えると言われている。1948年に初めての劇作『Kalo sayar (The Dark Lake)』を執筆し、51年にはインド人民演劇協会(IPTA)に参加する。ブレヒトやゴーゴリをベンガル語に訳したり舞台に立ったり演出したりしていたらしい。映画には50年「Chhinnamul (The Uprooted)」に俳優兼監督助手として参加しているが、初監督作は52年の「Nagorik (The Citizen)」まで待つことになる。商業映画デビューは58年の監督二作目「Ajantrik (The Unmechanical)」であり、本作品はキャリアで最も有名な監督四作目である。後の「Komal Gandhar (A Soft Note on a Sharp Scale)」(1961)と「黄金の河」(1962)と併せて"印パ分離独立"三部作と呼ばれているらしい。

カルカッタに暮らす難民の若い娘ネータは、その自己犠牲的な性格から家族すら含めた周りの人間に搾取され続けている。歌手になりたいという兄は家族を顧みない存在であり、ネータは彼の分まで齷齪働いている。しかし、婚約者や仕事など次々と失い、やがて病を得たネータは、唯一彼女を気にかける存在となった兄の腕の中で息を引き取る。

純粋な娘がやがて運命的な悲劇に見舞われるというのは先に観てしまった「黄金の河」引いては同時代のサタジット・レイ作品などにも通底している。人が当たり前のように死んでしまう時代に見出した小さな悲劇、正直者がバカを見る不誠実な世界の提示である。しかし、そんな映画はごまんとあるわけで、そこに映画的な仕掛けを組み込むことで頭(映像)と心(物語)の双方に訴えかけることが許されるのが映画なのである。カヴァルカンティは正しかったのだ。
本作品はどうだろうか。やはり陰影を強調した室内のシーンがどれもいい。「黄金の河」でムカージーが自決するシーンのエモさを引き摺っているので室内のシーンはどれも好きだった。感傷の誤謬の如く降りしきる雨の下に飛び出していったネータの穏やかな表情は忘れがたい。

ただ、懐郷的だった「黄金の河」に対して感情が直接的な本作品はそこまで好きになれなかった。残念。
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