湯っ子

凱里ブルースの湯っ子のレビュー・感想・評価

凱里ブルース(2015年製作の映画)
4.2
夢をみないようになってずいぶんたつ。
本当は、夢は必ずみているけどおぼえていないだけなのだそうだ。久しぶりに夢をみた気分。ひらたく言えば気持ち良く寝た、ってことだとも言えるけど、映像と私自身の眠りが溶け合って包み込まれるような、不思議な体験だった。あの街にいるシェンさんやウェイウェイやヤンヤンは、夢の中にいる人の動き方だ。夢の中にいる人は、意味なくウロウロしてるようでいて、実はわりと何かはっきりとした意図をもっていたりする。

正直言うと、私はこの映画を最初から最後まで、眠らずに通して観られたことは一度もない。
起伏なく静かで、なのに時空も場所も飛び飛び。朴訥とした語りで綴られる言葉は、美しいけど意味不明。心地よい映像を眺めていたいし、主人公の謎めいた過去を知りたいのに、気がつくと私自身が時間を飛び越えている(寝てただけ)。

3回目くらいの時にウトウトしつつもシェンさんの歌の場面まで漕ぎ着けた。彼の歌声に涙が止まらなくなった。シェンさんの境遇はなんとなく掴めてはいたけど、ところどころ寝ててちゃんとは把握できてない。だけど、彼の歌に心を揺さぶられた。なんだこれ、どういうこと、って困惑した。歌は心なんだってことをものすごく感じた。そして4回目の挑戦。もう少し、彼の境遇をわかった上で歌を聴く。ああそうか、そういうことだったのね、とまた涙。

4回くらいの夜をこの映画とウトウトに費やして、やっとこさこの映画の骨組みがわかった気がする。でも、たぶん私には読み切れないメッセージがたくさん隠れている。野人のことだって、結局なんだかわからないままだ。
いつか、前日に睡眠をたっぷりとった朝一番の回に、大きなスクリーンで観てみたい(でも寝そう…)。
湯っ子

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