OASIS

裸足の季節のOASISのネタバレレビュー・内容・結末

裸足の季節(2015年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

北トルコを舞台に、両親を亡くし祖母と叔父の家で厳しく躾けられた美しい5人の姉妹を描いた映画。
監督は、新人女性監督のデニズ・ガムゼ・エルギュベン。

眩しい、眩し過ぎる。
自由を奪われた籠の中の乙女達。
いくら鉄の檻に囚われても、陽光を遮られても、内から放たれる溢れんばかりの生命の息吹と煌めき。
若さという最強の武器を携え、身一つで飛び出す目む眩む様な世界。
かわいいは正義。かわいいは最強。

イスタンブールから1000km近く離れた田舎町に住む5人の姉妹、長女ソナイ、次女セルマ、三女エジェ、四女ヌル、そして末っ子のラーレ。
長男夫婦を亡くした為祖母の家に預けられ10年間暮らしていた彼女達は、生き生きと美しく育っていた。
「海街diary」も吃驚な5人姉妹は美人系、綺麗系、可愛い系、男勝り系と他ジャンルの魅力を備えた最強の布陣。
海の中での騎馬戦から始まるオープニングから眼福、眼福、また眼福の嵐。
5人で組んず解れつ寝そべる場面の幸福感たるや「あぁ、あの空間の中心に飛び込んで眠ったまま息を引き取れたら本望だろうな」と心の底から思わせる夢の様なシーンだった。

男の子との遊びを禁じられた姉妹達だったが、サッカーが大好きなラーレの提案により家を抜け出して試合の観戦に赴く。
試合観戦に抜け出した事をテレビの中継で知られてしまった姉妹達は、叔母さんの奮闘も空しく頑丈な鉄の檻により閉じ込めてしまう。
「良妻育成工場」と化した家で日々行われる花嫁修業は退屈の極み。
まるで鳥籠の様に窮屈で、そして牢獄の様に規律で雁字搦めの日々。
男性の入場が禁止されたサッカー場ではしゃぐ5人の姿が、最後の祭り的な騒がしさと淋しさを感じさせる。

ソナイとセルマの二人は求婚され共に嫁いで行くが、セルマは初夜の晩シーツに血が付いていない事を問われ処女では無いと疑われる。
「後ろの穴でヤるのよ」というソナイの潔さはある意味感心する。
セルマの「世界中の男とヤった」という発言の真意は定かでは無いが、姉に負けじと背伸びをしようとした末のものなのか。
何にしろ「息子の嫁が初夜に血が出なかったのよ!調べて!」と夜中に病院に雪崩れ込む一家を見ていると、処女性や清廉性に異様な拘りを持つ文化・風習ほどややこしいものは無いなと思う訳で。
自ら成長限界を決めてしまう様な許容の出来なさ加減がその町村の文化レベルを表していて、つくづく日本っていうのは良い意味でも悪い意味でも受け入れる器が大きい国なんだなぁと感じたりもした。
まぁ日本でも地方によっては未だにそんな風習が残っている所もあるかもしれないが。

やがてエジェも求婚され嫁ぐ事になるが、結婚への不安や不信から自殺してしまう。
5人で揃う最後の日を迎えた後、再び集まる場面では4人になってしまっているという、もう戻らないあの日々の寂しさ。
ヌルも嫁ぐ事になり、いよいよラーレだけが一人家に残される事に。
サッカーの試合観戦時に知り合ったトラックの運転手の力を借りて車の練習を日夜繰り返す。
運転手がイケメン過ぎる上に、軽く拒否しつつ姉妹をナイスサポートするという非の打ち所の無さが爽やかで良いキャラクターだった。

イスタンブールへと渡ったディレッキ先生と再会するラーレとヌル。
オープニングの場面で別れていたあの先生の存在をすっかり忘れていたので「何の計画も無くイスタンブールへ行って何をするつもりだろう?」とその計画性の無さに呆れそうになったが、まさかの展開が訪れて自身の考えの及ばなさに恥じ入る思いだった。

5人姉妹それぞれが美人なのは言うまでもないが、末っ子ラーレ役の子の顔の整い方が異常なレベル。
例え身一つで国を渡り歩いたとしても、その美しさでいくらでも目の前に道は開けるだろうと考えてしまう作品だった。
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