グラッデン

海よりもまだ深くのグラッデンのレビュー・感想・評価

海よりもまだ深く(2016年製作の映画)
5.0
「取材」と称して興信所で働く小説家が、台風の日に年老いた母が暮らす団地の部屋で元妻と子供とともに一夜を過ごす物語。

是枝裕和監督の最新作。前作『海街diary』では、漫画原作の世界観をベースに、母親が異なる姉妹の心の交流を丁寧に描いていったのに対し、本作は監督自身の経験や考え方を下地に観客の記憶や記録に呼びかけるような作りになっており、また違った意味で見応えのある作品でした。

本作において、重要な役割を果たしていたのが「団地」という空間です。本作における団地という舞台装置の特徴について、私は以下の2点に着目しました。

1つは、会話の大半が昔話になること。母親と離れて暮らす子どもや孫たちとの会話は、近況報告から昔話に繋がることが何度も出てきます。例えば、帰省で実家に帰る方が遭遇する「あるある」な事象だと思います。ベランダの窓から見える、どこか閑散とした風景と、あまり変わらぬ部屋の趣が引き出しているようにも見えます。そういう意味では団地=「蓋が開けっぱなしのタイムカプセル」のようにも感じました。

もう1つは、物理的な距離感。長らく暮らしている住人(=主人公の母親)の家らしく、限られたスペースの中に棚や机があるので自然と額を合わせるような距離感になる。心の距離感がどうこうではなく、嫌でも物理的に近くなります。物語の序盤から感じさせる、少し窮屈な距離感が後半に訪れる嵐の夜にも大きな役割を果たしていたと思います。

そのような実家=団地を訪れた主人公の立ち位置も、観客にとって絶妙な距離感にあったと思います。
生まれ育った団地の部屋が窮屈に感じるほど大柄で、若者とは言えない年齢に達している主人公は、逃げられた元妻と子どもへの未練たらたら、若者をゆすって金を稼ぎ、自分は見果てぬ理想を追い続ける、ダメ人間という表現が相応しい、どこか大人になりきれていない存在です(阿部寛さんのハマり具合が素晴らしいです)。
それでも、金に困って訪れた実家で見栄を張って母親に小遣いを渡したり、息子にイイ格好しようと面会日に必要なお金をかき集める。本末転倒ではありますが、彼にとっては必死の大人・父親アピールであり、抵抗だったのかなと感じてきます。

そうした背景を踏まえ、嵐の夜での息子や元妻との対話には重みを感じ、そして自らの記憶にも問いかけるような感覚に陥りました。全く感情移入できない存在だと思っていた人間から、自分について考えることになるとは(汗)近くもなく、遠くもない主人公との距離感が非常に良かったです。

そして、大人になって向き合わなければならない事実に直面することで何かしらの形で前に進もうとする人物に触れることで、子どもだった大人に問いかける内容であると同時に、いつまでたっても親から見れば「子ども」であることを再認識したさせられました。ここ数年見た作品の中で、最も親の存在を強く意識した映画だと思います。

今後も、何かに行き詰った時、自分を見つめ直す時に見たい映画。