づーーー

天国はまだ遠いのづーーーのネタバレレビュー・内容・結末

天国はまだ遠い(2015年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

絶妙に感動と気持ち悪さと美しさが自分の中で入り混じる、バランス感覚がすごい作品。

雄三が三月を憑依させ、三月と五月が17年ぶりに対話をし、五月が姉の死を乗り越えようとする場面ではカタルシスによって自分も泣きそうに感動をした。五月は言葉の上でこそ、雄三(三月?)が語る昔の詳細なエピソードに「そんなの覚えてない」と強がるが、実際は姉が本当に憑依しているのだと分かっているのだろうと。

一方、一回憑依が外れたのか「違います違います」と雄三が言う場面では、五月は「許されないですよこんなこと」「私たちのこと調べ上げたんですか」と憑依自体が嘘であるような解釈も見せる。それでもその後「もう少しキリの良いところまで良いですか」と雄三自体をやや受け入れる感じもある。
そして二度目の憑依らしきものが行われて二人はハグをするのだが、その横では三月が(一度目の憑依の疲れ?)ソファで寝ている描写がある。これによると少なくとも二度目の憑依は嘘なのだろうと受け手に思わせる。そこから、「可愛い」五月と触れ合いたいという雄三の欲望みたいなものが見える。どこの憑依までが本当で、どこからが雄三の嘘なのか曖昧さを絶妙に残す。
また、作品の中で五月は誰に殺されたのかまだ分かっていないとするような場面がある。そして雄三は三月の生前、三月のことを一方的に知っていたと言う。ラストシーンで三月に「好きだ」と言っており、その姉妹である五月のことも可愛いと思っている。え、もしかして三月を殺したのは雄三なのか。それを知らずに三月は「好きだ」と言う雄三を恋する乙女の顔で見ているのか。あるいはそもそも憑依自体が存在しないのか。
この辺りの解釈にもならない憶測を受け手にちらつかせるような、些細な情報を美しいラブストーリーの中に異質なものとして散りばめるやり方が絶妙で巧いなと思わせられた。美しくて感動的なのに、手放しで感動しきれない。
技巧的な、色々計算された作品なのかなという印象を持った。

雄三がAVにモザイクをつけることを職業としていて、冒頭から仕事中の過激な音声や自慰のシーンを見せられていることも影響しているだろう。
モザイクをつける仕事(可視なものを不可視にする)に就く雄三に三月が憑依しており(不可視なものが可視である)、五月が今は亡き姉をその周囲の人から照射することで浮かび上がらせようとしていること(不可視なものを可視化したい)は他のレビュー等でも言及されている。
そこに上記のような、今見えている感動的なラブストーリーが見たままに美しいものと解釈して良いのか、あるいは今見えていないものを想定するべきなのかという問いをちらつかされることで、見えているもの/見えていないものの関係性を妙に気持ち悪く揺さぶられる感覚のある作品だった。
最後の「好きだ」は三月のことが?それとも五月のことが?

あと本筋ではないけれど、三月も五月も素敵な方の美しさがしっかり映し出されていて「素敵だなぁ」と思いました。「偶然と想像」でも出演していた玄理だけど、「寝ても覚めても」の唐田えりかと似ているよね。唐田えりか好きなんですが、観ながら「あれ、本人?いや違う気がする」とちょっと区別しきれなかった。ああいうお顔、濱口監督もお好きなのかしらと勝手に想像(妄想)。
づーーー

づーーー