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劇場版 501のayatoonのレビュー・感想・評価

劇場版 501(2016年製作の映画)
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"2016年新春に送る真面目な18禁お正月映画"という触れ込みに引張られ、2016年-劇場鑑賞1発目は本作をチョイス。粗筋は各自で見てもらうとして、そこから少し簡潔的に補足しておくと、本作は、「『あの夏、いちばん静かな海』と『ロッキー』を愛するAV監督(ビーバップみのる)が、それを念頭に置いたドキュメンタリーAVをクリエイトしようと四苦八苦した"結果"=アレハンドロ・ホドロフスキーの世界に迷い込む映画」で、創作の大迷宮に彷徨するクリエイターの強迫観念と混迷と嗚咽、その"地獄巡り"を、正直過ぎるカメラが生々しく捉えた、極私的「selfie」であり、如何にもHMJM(ハマジム)/カンパニー松尾チルドレンらしく、肉薄された、アクチュアルとしての世界の暗澹部・袋綴じが覗けるスコポフィリー的な見世物小屋作品でもある。露悪的にも映るガチガチな「異文化交尾」の接写は勿論、幾度かクローズ・アップされる被写体の表情の機微からは、絶対と断言せざるを得ないリアルな人間性(力)が滲み出ていて、それを絶対に逃すまいと、ビーバップみのるは、強欲(性欲・物欲・承認欲求・自己実現)が渦巻く大宇宙と、カイロス(主観的時間)の中でカメラを向け続けている。如何にして主体へ巻き込むか、そして、当初は「豚の顔射」を映画のゴールとして設定していた作品が、ここで記録したのは何だったのかと、ふと、思い返してみれば、やはり途方も無いが(これは「完成版」に期待している)、「自分の属性や、青春の憧憬、肥大化し続ける過去の切迫をどう断ち切るかに苦悩する、孤独な全人類の実像と虚像の記録」として、「劇場版」を仮に構築したのであれば、ここで記録された映像の断片はそれに相応しい本当とフェイクを纏っていたことには間違い無いと思う。少なからず、この混沌とした不純な状態の中で「頑張る(れ)」という純粋な3文字の感情を主体的に浮かび上がらせる収斂の手腕は割と評価しておきたい。なんか感動すら覚えたし。とはいえ、2016年の幕開けを、こんな神経症的な実験作で迎えるとは....。

そういえば、エンディングテーマの詩がこの映画とマッチングしていて素晴らしかったです。
https://soundcloud.com/tsuhaco/a8mnpjjcuk0i
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