レインウォッチャー

天使の影のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

天使の影(1976年製作の映画)
3.5
R・W・ファスビンダーによる戯曲が原作ということで、人物は舞台のように配置され、詩的な言い回しの台詞が大半を占める。しかし、筋としては案外シンプルで、寓話的でありつつ表面は単なる三角関係的な話として観ることができる。

寒い都会の街角で、売れ残りがちな痩せた街娼リリー。貧しい家に帰れば、同居のヒモ(これをファスビンダーが演じてる)から稼ぎが少ないと殴られる日々。
しかし、ある日ユダヤ人の地上げ屋がリリーに目をつけたことで状況は一変。みるみるうちにリリーは富を手に入れるのだが…

観ているうち、ヒモ男はリリーにとって神(特にキリスト教圏の)のような存在に思えてきた。彼から殴られることに怯えて貢ぎながら、それ自体がいつしかリリーにとって人生の目的と等価なものになっていた…信者と教会の関係と一緒、とかいうと怒られそうだけれど。まあそう思う。

「愛するから殴るんだ」と宣う男、「あなたはできるだけ私を殴らず、罪を赦してくれる」と歪んだ認知を表現するリリー。客との行為の内容を聞いてオカズにするのは懺悔の要求、あの子猫は供物みたいなものだろうか。

では逆に、金(資本)によってリリーをフックアップし、ヒモ男の呪縛から引き離したユダヤ人富豪はまさに悪魔か。
ファスビンダーの監督作『不安は魂を食いつくす』と続けて観たからか、今作の劇中でも《angst》(不安、恐れとも)という単語がたびたび聞こえてくる(※1)。ある意味、不安を煽って定着させることが基盤となる神への信仰は最早流行らず、金にその位置を取って代わられた…といえるかもしれない。街を塗り替えていく地上げ屋が、テリトリーの移り変わりを示しているようだ。また、戦後のドイツという国において、ユダヤ人がこのような位置の人物に居ることには含意を感じさせるところだろう。

しかし結局、満たされた幸福な生活と思われたものもまた、嫉妬や孤立といった別の《angst》を連れてくる。(この構造も『不安は~』と近い。)
その先にリリーが選んだ結末を見届けたとき、どうしても暗澹たる気持ちになるけれど、いまだわたしたちはこれ以上の答えを見つけられていないことも確かなのだ。

ファーストカットに映る通りの寒々しい曇天の空気でずっと満たされている作品ではあるけれど、ジャケ写のサバ折りカットはじめ、極まった画がところどころにあって審美的な欲はおおいに満たされる。また、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』でおなじみのI・ヘルマン他、ファスビンダー組ともいえそうな顔を多く見つけることができる。

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※1:実際、「空腹は妄想と同じ、魂を食う」なんて台詞もあったりする。