中村晃子が「虹色の湖」を歌ったのは1967年だった。/幸せが 住むという/虹色の 湖/幸せに 会いたくて/旅に出た 私よ/少し怒ったような歌い方の都会的なちょっと突っ張った感じのお姉さん。この歌が流行る前に出演していたのが本作。久しぶりに彼女を観たら伸びやかな肢体が輝いていました。/ふるさとの 村にある/歓びも 忘れて/(作詞:横井弘)えっ、村から出てきた感じじゃございませんが、二十歳の中村晃子のいたずらなくちびるは可愛らしくもあり、そのエロチシズムはなかなかのものだと思うのですが、女優としては全く売れなかったみたいです。わたしが彼女は女優だったと知ったのは、同じ頃に活躍していた小川知子と映画女優時代の話をしている週刊誌の記事を読んだから。
1965年製作公開。原案富永一朗。脚本石堂淑朗、前田陽一。監督前田陽一。劇場に張ってあったポスターの惹句は、/小さな浜辺に、でっかいヒップ/もっこりバストがユーラユラ/磯のアワビが泣いている!/同時上映は、伊東ゆかり主演の『おしゃべりな真珠』だったという。真珠貝とアワビというなかなかの組み合わせ。
NHKの「あまちゃん」とは別物です。そもそも昭和の海女さんの写真見たってちっとも欲情しないんですけど。
さて、本作は、八丈島がモデルの島の観光誘致にまつわるあれやこれやですけれど、細切れで何をしたいのかさっぱりわかりません。ホテルやストリップ小屋の経営者は観光誘致に何か資源はないのか、とつらつら考えた揚げ句は、海女さんだ、と巨大な半裸の海女さんの看板を旅客船からも見える場所に打ち立てる。目指せ!日本のハワイ!大半の海女さんは、わたしたちは消費物じゃございませんわ、と反抗の姿勢を示しておりますが、発展派の海女さん代表のホキ徳田に懐柔されるやトルコ風呂のマッサージ嬢になったりします。
ご先祖様の言い伝えでこの島には温泉が出る、と執拗にボーリングしては借金を嵩ませる左卜全。その娘姉妹にホキ徳田、ヒロイン中村晃子。中村晃子に惚れている青年が加藤正というみたこともないパッとしない役者。誰なんじゃこの男は。男と女は夜這いでしか出逢わないのかという、こんな描き方に八丈島島民のクレームはなかったんだろうか。あるいはそれが日常だったのか。わたしが八丈島に行ったのは1980年頃だったろうか。夜這いなんてなさそうだったけど。そんな夜這いの出会いに小さな胸を膨らませて待つ中村晃子。でも、わたしはここよ、というサインを出して待ち構えていても、いざその時になると、いやんばかんドラム缶、と突き飛ばして逃げ出して海岸に行き、着物を脱ぎ捨て全裸で海に入って泣きじゃくる。
別にここで終わってもよかったんだけど、物語は更に続きます。
びしょびしょになった中村晃子は村の長老/浜村純のもとに駆け込んで、/わたしは白子屋お熊の子孫だから淫乱なのかしら/いやいやわしだって関ケ原で豊臣に加勢して遠島の罪になった子孫じゃ、御赦免花を知っているか、この花が咲くとすべて許される、わしは一日千秋の思いで咲くのを待っているんだ/と浜村純にやさしく言われて眠りにつきます。が、その浜村純も男です。深夜、彼女のいたずらなくちびるに誘われるように寝所に忍び込み頬を寄せるのです。気配を察した中村晃子に突き飛ばされて周章狼狽。儂としたことが、と翌日腹切りで島民を驚かせます。
この後、温泉が湧き出た左卜全が喜びのあまり死んでしまったり、パッとしない加藤正がホテルの若妻?に、わたしまだ女の悦びを知らないの、と迫られて懇ろになってしまったり、肉体派女優/春川ますみが別荘用地を視察に来てお色気を振りまいたり、大運動会が開催されたり、御赦免花の白い花が咲いたり、賑やかなんだけどちっとも面白くない。
で、真っ白な御赦免花に救われた中村晃子はどうするのかというと、ジョセフ・コットンに一瞥もしないで通り過ぎたアリダ・ヴァリの様に、加藤正の前を過ぎ去って島を出るのでした。
ラピュタ阿佐ヶ谷 前田陽一の反マジメ精神喜劇ぱらだいす にて