デニロ

愛と死をみつめてのデニロのレビュー・感想・評価

愛と死をみつめて(1964年製作の映画)
3.5
1964年製作公開。原作大島みち子 、河野実。脚色八木保太郎。監督斎藤武市。青山和子の同名曲を本作の主題歌だと思っていた。全く関係がなかったようで、この歌は同年の日本レコード大賞曲となったのでした。どこからともなく流れていた記憶がありますが、最初のフレーズから大っ嫌いな歌でした。というわけで観なかったわけではありませんがご縁のなかった作品です。そもそも吉永小百合に興味がなく、特集上映にもほとんど足を運んだことがない。

物語は有名な話で、みこ、まこと呼び合う若者の恋物語に軟骨肉腫という当時の医療では治すことの出来なかった難病が覆い被さる。みこは京都の同志社大学に、まこは東京の中央大学に進学し、夢と希望に満ち満ちているんだけど、若いみこに襲い掛かった軟骨肉腫の治療法は見つからず、まこは長距離電話、手紙で長い入院生活のみこを励ます長距離恋愛。患部を取り除く顔面手術で顔の半分を失って、みこは/お互いに都合が悪くなったら別れましょう/そんなつもりで付き合ったるんじゃない/と返すまこ。

舞台は吉永小百合演じるみこが入院する大阪大学付属病院なんですけど、浜田光夫演じるまこは見舞いに来るなりいきなりみこの病室で煙草の火を付けるのです。そしてみこはさっと灰皿を手渡してあげたりするのですが、公開当時はそんな仕草が可愛かったんでしょうか。更に、主治医の放射線科医師内藤武敏も、今日はちょっとゆっくり話そうか、と言いながらみこの病室に入るなり煙草に火を付ける。駄目でしょう、それは、と思いながら観ていると、内藤先生が、ひとりじゃ寂しいだろうから上の階の病室に移ろうか、と問いかけると、父から何か話がありましたか、と返されて、特にそういうことではないんだが、と言ったものの思い直して、聡明な君のことだからちゃんと話しておいた方がいいのかもしれないと、中小企業を営んでいる父親の経済負担の話を始める。なんだろうと思って、国民健康保険の変遷を調べてみたら、1958年に国民健康保険法が施行されて被保険者の5割負担で始まり、1961年に世帯主は3割負担、1968年に世帯員も3割負担に改定されたということだった。みこの入院生活していた時期は世帯員は5割負担で、石破首相が何度も変更してしまって顰蹙をかった高額医療制度が始まったのは1973年なので、父親の負担は相当のものだったと思われる。

原作としてある大島みち子と河野実の書簡集を読んではいないのでどんなふうに脚色しているのかは不明だけど、移動した4人部屋の3人が北林谷栄、ミヤコ蝶々、笠置シヅ子なのだからかしましいのは当然として、突然創価学会が出て来るのはどうしたことなのだろうか。この辺りが八木保太郎の面目躍如なのだろうか。その頃創価学会は、政治局を公明政治連盟に改組して国政選挙に進出していて、本作公開年には公明党として結党している。国政選挙で推薦議員が当選したのが大阪だったので、大阪が公明党の発祥の地ということのようだ。常勝関西として強固な地盤があったそうだけど、最近は維新が登場して常勝ではなくなったみたいだ。わたしの中学時代、クラスメイトが公明党に投票しようとはしゃいでいたのは結党の数年後のことだった。そんなことを組み込んでいるけれど、その意図がなんであるのかはさっぱり分からない。同志社のキリスト教主義と被らせたのだろうか。

入院患者の宇野重吉の登場意図もよく分からない。

さて、本作の映画化は原作を読んだ吉永小百合の熱望だとのことだけど、10代の最後の年の記念碑的作品になっているんじゃないだろうか。全篇ほぼ眼帯と包帯でお顔の左半分が隠されておりますが、キラキラとした右の瞳を観ながら、これが吉永小百合なんだと感じ入ったものです。

丸の内TOEI 『昭和100年映画祭 あの感動をもう一度』 にて
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