すえ

拳闘試合の日のすえのレビュー・感想・評価

拳闘試合の日(1951年製作の映画)
3.0
記録

【誰もが知っていて誰も知らない男、スタンリー・キューブリック】

俺が映画に傾倒する契機となった1人の映画監督、スタンリー・キューブリックの一生を『映画監督 スタンリー・キューブリック』という評伝と共に追っていこうという企画(?)を、大学生の春休みという莫大な時間を使って開催。ほとんど自分用のメモ。

今作の内容は凡々、映画監督スタンリー・キューブリックの誕生と考えると、非常に価値のある作品。
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1950年、成人を迎えたキューブリックは『ルック』誌のフォトジャーナリストを卒業し、初めて映画を自主制作する。彼は、フォトジャーナリスト時代に取材した記事の中から『ルック』誌に掲載されたミドル級ボクサー、ウォルター・カルティエを撮影した写真をもとにデビュー作となる短編映画を作った。この短編映画のコンセプトは、リングに向かう前の準備などのボクサーの日常を撮影することだった。

キューブリックはこの『拳闘試合の日』で、全てを自分でこなす映画監督として映画界でのキャリアをスタートさせた。「僕はカメラマンであり、監督であり、編集者であり、編集者助手であり、音響担当者でもあった─何でもこなした。これは貴重な経験だった。なぜならすべてを自分でこなさなければならない状況に追い込まれることで、映画製作の技術的側面のすべてを完全に理解することができたからだ。」と語っている。

今作では作家性の萌芽と言うべきか、彼らしい瞬間が見られる。そのひとつがキャンバスから、殴りあっているボクサーを見上げる視点で撮っているショット。この動的な試合、撮り直しのきかないこの場面で、カメラをボクサーに向け自分の目で確認することなく撮影することは、フォトジャーナリストとしての経験を感じられる。またこの下から見上げるというイメージは、用途に違いはあれど『シャイニング』でドアに向かうジャックを見上げるショットに通ずるものがあるだろう。
また、椅子の脚の間越しに敵を捉えるショット、これは彼のお気に入りなのではないか。のちの『非常の罠』でもこれに類するショットが登場してくる。

彼の仕事は、処女作にも関わらず音楽に至るまで徹底していた。それまでのスポーツ短編映画に使われていた音楽は、音楽ライブラリからとってきたもので、同じ音楽が使われていることがしばしばあった。しかし、彼は当時音楽を勉強中のオーボエ奏者、ジェラルド・フリード(のちに『スター・トレック』などの音楽を手がけている)に音楽を依頼した。

今作でキューブリックはニュース映画を真似てはいるが、いろいろな編集を試し、生き生きとした映像を演出している。そのため、試合のシーンでは視覚的に刺激のあるものに仕上がっている。また物語の構造は、時間の圧縮、実時間のドキュメンタリー、そして終わりのフェードでコントロールされている。

彼は『拳闘試合の日』の最終費用は3900ドルで、RKO=パテに4000ドルで売れたと発表している。しかし実際には4500ドルくらいかかり、そのうちの半分は彼の貯金が使われ、残りは彼の父に借りたという話もある。とにかく、彼は1人で35ミリ映画の資金を調達し、プロデュース、そして監督するという偉業を成し遂げたことには違いない。

そして1951年4月26日、『禁じられた過去』とともに、ニューヨークのパラマウント劇場で封切られた。彼が映画監督の道を踏み出した瞬間である。

2024,短編5本目 2/9 Youtube
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