斜線

園子温という生きものの斜線のレビュー・感想・評価

園子温という生きもの(2016年製作の映画)
-

僕が情熱大陸を好きな理由をいくつか考えたことがある。
30分弱という短い時間でその人の本質に迫るようなドキュメントを撮れるはずがないという諦めと仕事だから真面目にのブレンドの結果生まれる、その親しみやすさが大きいのだろうな、というのが今のところの主たる結論だ。
例えば某プロフェッショナルの方が確実にドキュメントとしては優れていて、扱う人々の好みもバッチリというか、本当に日々破壊と再構築を繰り返すプロを扱っているから、素晴らしく見応えはあるんだけど、いささか重い。
ちょいちょい色んなドキュメンタリーを観るにつけ、その人やものの本質に迫る手法としてのドキュメントなんて、カメラがあるんだから無理でしょって思いもあるからか、本当に本質を撮りたいという意図で作られたものに若干の居心地の悪さを感じてしまうわけだ。

でも、情熱大陸を1時間半の尺で見せられるのはダメなんだなと、これは、そう思わされた。
仮にも映画の枠組みの中に入るものなのであれば、ある程度の真実は描かれていなければならないし、虚構を虚構として描かなければならない。穴を掘り続ける覚悟がなければならない。
魅力的な部分と下劣な部分をどちらも色濃く持ち合わせている園子温でなければ最後まで見ることのできないようなものだと、やはり観た後にそこはかとない虚しさが残る。
で、やっぱり、表現者の事を理解しようとするには、ある程度の差こそあれ、その表現を見る以上の手段はない。という事を改めて思い知る事になった。
結局食べなければ聴かなければ読まなければ、観なければ、その表現の本質は知り得ないのだ。当たり前のことだけれど。

メモ/人格の統合を(恐らく意識的に)行わなかった人間が質の高いオリジナルな表現をなし得るのかもしれない。。。
斜線

斜線