映画としての完成度えげつない。
テンポ、展開、キャラクター全てが完璧だったと思う。
ただラストの娘の芝居の下手さは酷いと思う。
あのシーンをきちんと出すだけで
きっと彼女は日本代表になれるほどの役者になれたと思う。
園子温がなぜあのラストであのBGMを流したのかは彼女の芝居が足りてなかったからだと思う。
無茶苦茶なシチュエーションで、
リアルも芝居もあったものではないが、
実話ベースの物語で、
理解できないことを理解しないといけないという役者のコアな部分を試されたんだと思う。
彼女にとっては酷な現場で
勝ち取った現場だったと思うけれど
好きな家族が3年前の母が亡くなったことで崩壊のきっかけを生み、
そこまでは仕方の無いこととして納得理解していたが、
父は程なくして若い嫁を迎え入れ、
それが気に食わなかった。
若い嫁もこの娘も父親も
きちんとコミュニケーションを取るだけで回避出来たことが山ほどあった。
それを村田から学んでしまった父がいて
その父が目の前で死ぬ。
それで不可解な恐怖から
悦びに変わる芝居なんてあの年齢の娘には酷過ぎる。
しかもその芝居ひとつで世界をとれるほどのシーンでしかもオチだ。
彼女がそこまで理解して現場入りしていたかどうかは知らぬが、足りなかったことは事実でその事実こそがこの家族の娘ここにありという矛盾なる正解を生んでいるのも事実。
つまり、どちらに転んでも作品としてはまとまるというシチュエーションを図らずとも用意してしまったんだと思う。
ただそれが作品として汚れてしまっていることを汚れとして見ている人間に認識してもらいたいがための園子温のBGMだったような気がするんだ。
久しぶりに園子温を見た。
久しぶりに没頭して見入ってしまう作品を見た。
でんでんが怖いだなんて言うレビューばかりだったから見るのを躊躇っていた。
それがどうだ、見始めたら自殺サークルと変わらない切り口の関係者を探す映画じゃないか。
村田と社本の喧嘩のシーンでは
昔のイジメられていた自分を思い出した。
建物の中で殴られ引きずられるシーンでは
幼少の頃に受けた虐待を思い出した。
バラしたり、殺したりそんなことは知らないけれど、それ以外の痛みは全部知っていたものが映像化されていた。
1歩間違えれば誰だって村田だし、社本だし、愛子に妙子だ。
ギリギリのところでみんな生きてる。
ギリギリのところでみんな傷ついてる。
色んなこと思い出した。
色んなこと忘れてた。
許しちゃいけないよな。
憎しみの鮮度は落ちないよな。
映画としての完成度は本当に高い。
ラストシーン以外は完璧でした。